熊本県民新聞 WEB版
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■ 発 行 所 ■
〒861-8034
熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

電話:096-234-8890
FAX:096-234-9883


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熊本県警に告訴・受理 捜査一課と東署頑張って捜査
熊本地検に送検・全員不起訴

 熊本市営バス運賃窃盗疑惑について、小紙は2年間に亘って報道を続けた。左の平成20年4月号が第一弾であった。この報道は悪徳監督長、監督や営業所に大なるショックを与えた。反面では、日頃から彼等の不正を苦々しく思っていた職員や、運転手から色々な情報が寄せられた。それらの情報を基に現役運転手、OBらに取材を行って再々報道した。この報道に驚いたのが熊本市交通局の幹部と幸山市長ら。幸山市長が実態解明を指示した(と後日聞いた)が、交通局側は「調査した結果その様な事実はない」と報告。その直後に何故か慌てて宿直制度を廃止したのである。又、集金ボックスの在る場所に監視カメラをつけ、監督らの居室でモニターが出来るようにした。

 こうした装置を設置したという事は小紙の報道内容が事実であったからではないか。宿直制は廃止されても監督らが早出してコンテナーを回収機から出し金庫室に運ぶのである。不正の続行は可能であった。何しろ運賃を入れた金庫はこの2名しか扱えないのである。他人は勿論、運転士さえ扱えないボックスの天井に監視カメラを設置する事自体が無意味である。金庫室と呼ばれる金庫を保管する室のドアの鍵を南京錠から今風の電子カード式に替えた。これも前述の通り、監督らが所持しているのである。空巣狙いに家の鍵を預けるのと何の変りはない。

 小紙が、これだけの疑惑を報道したにも拘わらず、スケベ市長の幸山は事実解明に動かなかった上、組織改革も行わず、各ポストに居た幹部は順調に昇進したり、石田管理者如きは情報流通センターの社長に就けている。市民の税金丸取りは許せないと、筆者なりの努力を重ねた結果の最終報告(まだ諦めてはいないが)が本稿である。熊本地検に告発したが、被告発人を管理責任者とした為不受理となった事は以前にも書いた。その後平成22年1月20日、熊本県警本部に元小峯営業所長、現営業所長、監督長ら6名を告発、受理された。県警は、管轄の東警察署担当課と共に捜査を開始、被告人らを東署に呼び、嘘発見器にかけたりして事情を聴取した。実に涙ぐましい努力を重ねた結果、同年8月20日熊本地検に書類送検した。この時点で県警関係者には悪いが、筆者は地検が「不起訴」処分とすると確信を持ったのである。県警ベテラン捜査員から「地検は県警から送検した以上の判断は下さない」と聴いていたからである。大方の送検内容(捜査経過と結果)も小紙の"隠れ支持者"から得ていたので地検の不起訴は折込み済であった。

 同年12月3日付で熊本地検から「処分通知書」が届いた。予想通りの不起訴であった。これで筆者に残された手段は検察審査会に不起訴を不服として「審査申立て」を行うのみとなった。この運賃窃取案件の真相究明に無理があるのは充分に筆者も承知していた。原因として、市の運賃管理の杜撰さが挙げられる。電鉄バス、産交バスのようにきちんと管理されていれば不正を行う隙はない。民営と官営の差であり、最高責任者の幸山市長の感覚の違いでもある。犯行は宿直の2人が無人の場所で行うのである。視認にしろ、写真撮影にしろ先ず不可能。従って証拠は状況証拠のみである。

1 運転手時代サラ金通いをしていたのが助監、監督になるとサラ金通いが止み、同僚との飲食代を持つようになる。
2 毎休日毎にパチンコ通いで「昨日は5万負けた、4万負けた」と云ってけろりとしている。
3 高級外車を乗ったりハーレーダビットソンなど大型バイクを乗り回す。
4 女を作って店を持たせる(これは初公開、何れ実態を暴く)。
5 ライフルや猟銃を数丁以上所有。
6 ゴルフに通い賭けゴルフを行っている等々である。

 心ある市民の皆さん、以上の事柄から犯行が行われたか、小紙の一人よがりの報道かご判断を願いたい。筆者が涙ながらに訴えたいのは公金盗っ人が許せない、ただそれだけである。県警は6人中「1人だけ真白が居る」と断言した。残る5人に伝えたい。今後筆者の調査力(刑事の1/3位か)を駆使して証拠を揃えて再告発を致します、とね。


「証拠ない」検察審査会も見捨てる

 熊本地検の処分が納得できなかった筆者は、平成23年1月21日、熊本地裁内に在る「熊本検察審査会」に審査申立てを行い、同24日付で受理された。検察審査会は無作為に選ばれた市民11人が半年の任期で申立てのあった事案を審査するものである。

 関係者に聴くと、交通事故など被害者、加害者がはっきりしたもので、検察庁が不起訴とした事件。明らかに犯行があったと判断されるのに不起訴となった案件(小沢代議士のような事例)では有効に働くが、貴方が云う様な案件は地検の判断を変える事はないでしょう、であった。それでも一縷の望みを託していたが、5月27日付で「不起訴相当」の議決書が送られて来た。「議決の趣旨」「本件不起訴処分はいずれも相当である」として「議決の理由」の第2検察審査会の判断として「告発事実1について、集金したバス代金の一部・現金29万円が盗難にあった事は認められるが、被疑者らのいずれについても、単独又は共謀しての犯行だとする証拠はない。又、被疑者ら以外の者についても捜査されているが、いずれにしても犯人を特定できるまでの証拠がない」即ち、当時の東警察署の捜査が未熟で犯人検挙が出来ていないと云っているのである。(2)として「上熊本営業所で被害が発生したか否か不明であり、被害、犯人を特定できる証拠がない」2 「申立人が提出したものの中には、検察官のした不起訴処分の裁定を覆すに足りる証拠はなかった。よって上記趣旨のとおり議決する」熊本検察審査会印。

 次頁に詳報するが、上熊本営業所でバス運賃箱の回収機の戸が開いて整理券、現金が前面にバラけている写真を添付していたのであるが、審査会にこれ以上の判断を望むのは無理だろう。問題は捜査結果にあるからだ。



 福島第1原発事故以来急浮上してきたのが「再生可能エネルギー」論である。一頃のCO2のないクリーンエネルギーとか、燃料発電より低コストと持ち上げていた国民や左翼政党が一転反原発論を唱えだした。大震災以後の福島原発事故を見れば確かに原発は怖い存在である。「人間が制禦出来ない存在」と不安を煽る学者も出現した。原水協、原水禁が久方に息を吹き返し定期点検で休止中の原発再開差止め訴訟を各地で起した。昭和41年7月東海原発が営業運転を開始。日本の原子力発電の夜明けとなった。日本経済は急発展を続け、消費電力も急増した。二次の石油危機を経験した日本が出した結論は「原子力発電による安定的電力の供給」であった。

 これまで小さな事故はあったが、東海原発始動以来今日まで、全国の原発は大過なく運転を続けてきたではないか。核利用については原潜や空母を持つアメリカの核制禦技術が最高であろう。原子炉で船を動かし、発電所も動かしている。だが、現在の日本の技術力をもって行えばより安全な原子炉は出来る筈である。少し前、サイエンスの雑誌で目にした事がある。プルサーマルにしても「世界のどの国もやっていない危険な施設」と反核論者は云うが、世界でやれない事をやっているのが日本の技術ではないか。試行期に事故はつき物であり、失敗を恐れていては進歩はない。福島原発がいつ収拾されるのか筆者は見当がつかない。しかし、この事故を教訓として必ずや「事故対策技術」は向上し、より安全な原発の開発が進むものと思うし、そうある事を願いたい。



 バス運賃を運転士がネコババしていたのは40年程前であったろうか。終業したバスから事務所に至るまでの間に細工をして小銭を抜いていた、とはよく聞いていた。他に乗客が紙幣しか持合わせていない時など、自分の金で釣銭を出し差額を懐へ。これは官民問わず行われていたという。この防止策として運賃箱に両替器がつき「運賃はお客様が直接運賃箱にお入れ下さい」となり、運転士が個人でネコババする事が出来なくなった。それでも「やる気のある奴」はやる。

 数年前、新聞社会面で西鉄バス運転士の不正が報じられた。手口は、熊本〜小倉間の速バスで、途中乗車した客が小倉駅で下車する際運賃2500円を運転士に手渡し、運転手は自分のポケットに入れた。不幸?な事に、このバスには西鉄バスの不正監視員が乗っていて露見してしまった。民間バス会社はこの様にして運転手の不正を防ぎ、赤字を縮少しようとしているのである。それに比べると親方日の丸・熊本市営バスの運賃管理の杜撰さは小紙が報道した通りである。しかも未だに行われている形跡があるが、この手口は何れ機会が来たら報道する。本欄で云いたい事は市役所(幸山市政)と検察の高い壁を筆者が突き破れなかったという事である。風車に挑むドンキホーテであった。喜べ運賃盗っ人の監督長、監督らよ。おっと忘れていたこいつらを口利きで採用させ礼金を貰っていた市議らも、今夜から枕を高くして眠れるぞ(何、前から枕は高かった?)。

 次に写真説明に入る。
【1】 これは市営バス運賃箱、上から入れた整理券・運賃は右下の囲みがある集金ボックス(通称金庫と呼ぶ)に落下する様になっている。 【2】 これは同ボックスを引抜いた内側、奥左下にあるのが電磁装置。これとボックスが接触する事により収納蓋が開閉される。引出すと自動的に蓋が閉り運転士が開ける事は出来ない。

 
【3】 これは集金ボックスを運賃箱から抜いた単体。運賃箱に差し込むと右半分の蓋が開く。  

【4】 これは営業所に在る回収機(左)。【3】の集金ボックスを逆さにしてこの回収機の開口部(印のある所)に差込むと【2】で説明したのと同じ装置があり、ボックスは解錠され中味が落下する。右側はツーユーカードや一日乗車券販売機。千円券、3千円券など、毎日決った枚数を運転士らが受取り、終業後売れた分をこの販売機で買って補充し返却する。この販売機は5、6年前に設置された。何故か。一部の運転士らが不正を行っていたからである。販売機設置前までは、千円券などのカードを各人に10万円分を手渡ししていた。代金の清算は各運転士の自由意志であった為、カードの売り上げをパチンコ代や飲代に流用する運転士が続出した。しかし何時かは清算しなければならない。で、給料日に清算する者が多かった。この事実を営業所長らは知っていたが黙認していた(かつて自分達もやっていたから)。中でもわるは「失くした」として清算しない奴も居たらしく、交通局を退職するまで引っ張り、退職金で支払ったという伝説まで残っている。平成16年頃、パチンコ狂の運転士が「カードを入れ物ごと盗られた」と清算を渋っていたが、空の入れ物がトイレ(上熊本営業所)の天井から見つかり、運転手の自作自演だったと判明。この運転士は6ヵ月間の出勤停止を食らった。10万円分ものカードを運転士に渡し、時には数ヵ月、数年も回収しないなど常識では考えられない事を行っていたのが熊本市交通局である。閑話休題。

【5】 これは通称コンテナーと呼ばれる現金収容ボックス。長さ約55センチ、横幅約35センチ、さ約40センチである。約と書いたのは監督、監督長以外に触れる機会がないからである。【4】で解錠されたボックスから中味がこのコンテナーに落下する仕組みである。前にも書いたが、クリップがついているのは、車で搬送中にショックで蓋が閉らない為の処置である。このコンテナーを開口したまま、【4】の回収機の下部の両開き扉から中に押込んで扉に施錠する。夕方になると各路線バスが帰庫し、運転士らは自車の集金ボックスを持込んで回収機にかける。営業の全バスの売上げがこのコンテナーに収納されるのである。この数年はカードが普及し現金は少くなったが、それまでは多額の現金が収められた。このコンテナーに電磁装置は付いていない(前に電磁装置で蓋が開閉すると書いたのは嘘、ではなかった、内部告発者らも知らなかった)。

 盗っ人監督ら以外の運転士らがコンテナーの仕組みを知る事は出来ないのである。ここからは各情報からの推察となる。コンテナーの蓋は開けたまま回収機に入れられる。だが引出した時は蓋が閉っているのである。一旦閉った蓋はドライバー程度では開かないらしい(かつてこの蓋がめくれ上っていたのが目撃されている)。そこでわるが考えたのがガムテープで蓋を1/3程度の所に固定するのである(目撃証言あり)。翌朝扉を開け、コンテナーを金庫室と呼ばれる個室に運び込めば占めたもの。2人で山分け、ではなかった「感付かれない程度」の現金を抜いて蓋を閉めて一仕事完了となる。しかし、どぢな監督も多いらしく、回収した運賃がコンテナーに入りきれず溢れている事がある。それと知らず回収機の扉を開け、溢れていた整理券や現金が流れ出す事が起きるのである(写真【6】)。

 しかも、この現象は何人もの運転手が目撃しているのである。その内の2人に接触し「証言してくれ」と頼んだが「家族のこともありますから」と断わられた。思うに、宿直員2人だけの夜中にやればゆっくりと誰憚る事もなく仕事が出来るのに何故早番の運転手が出勤する時間に扉を開くのか。推察だが、回収機にコンテナーを出した時間など記録するシステムがあるからではないかと思う。コンテナーの蓋は飛び出すよう奥にスプリングがあるのではないか。入れた時、回収機内の装置が働いて、引出す際蓋が閉じる仕掛けと思う。何れ製造元に確めたいと思っている。Eは2008、02・23日の日付け入り写真である。この日出勤した運転士が状況を目撃、扉を開けた監督が手で集めきれず箒と塵取りを取りに行った隙に撮った動かぬ証拠である。コンテナーに細工をしない限り起きない現象であるが、真相究明には至らなかった。恐らくコンテナーの蓋の開口部が狭かった為に入りきれなかった分が溢れ出たのであろう。
当時)は県議会議員で元議長の村上寅美氏を「JUの顧問」と周囲に語っていたが、「村上寅美顧問」の件は役員会の決定はなく、一部組合員から追究を受けている。その時の答えが「自分の思い込みで勝手に顧問扱いしていた」である。


役人根性

 以上で熊本市交通局自動車課監督らの運賃窃盗疑惑についての報道を終える。毎年赤字をたれ流し、市の一般会計から10億円以上を注ぎ込んでいる一方で、運賃管理は杜撰極りなかった。悪の芽が蔓延る原因の一つに人事制度がある。担当課長は数年毎に替り、腰掛け気分で勤務、すぐ監督らに抱き込まれる。営業所のトップは運転士―監督―監督長を経て就任する。監督は、真面目な者はなれない。日頃から取入り、悪に同調する奴が昇格する。これで浄化など出来る筈はない。幸山市長は早目にバス部門を切ろうとしている。長嶺営業所長と副所長ら悪の一党をバス部門からはずした。小紙の追及を避ける意もあるのか。自己保身に汲々とする役人根性に唾棄する。



 定期点検で運転を休止していた九州電力玄海原発2、3号機の運転再開が直前になってストップした。6月末、担当の海江田万里経産相が佐賀県入りし、佐賀県知事、九電関係者と会談「安全性が確認された」として翌日にでも再稼働を容認する雰囲気であった。所がふら菅(思考に一貫性がなく何事もふらふらしている菅直人首相のこと)が突然「ストレステストで安全性を評価する」と云い出した。現地に赴き「OKサイン」を出したに等しかった海江田経産相がこれに怒った。地元の古川康佐賀県知事を始め、再稼働の容認発言をしていた岸本英雄玄海町長らも同様である。しかしふら菅の考えは変らず7月6日の衆院予算委員会で「新ルールを作って国民が納得できる判断が出るよう努める」として、再稼働はストレステストの結果で判断するとした。ふら菅にストレステストの実施を吹き込んだのは側近の左翼人らしい(週刊誌)が、首相が参考としている欧州連合(EU)などのストレステストを実施した場合、結果が出るのに数カ月かかる。しかもコンピューターを使ってのテストにどれ程の実効性があるのか疑問が湧く。つい数カ月前には「日本の電力の50%は原発で」とか「原発を海外に売り込む」と云っていた一国の宰相がこの豹変振りである。この騒ぎの最中、今度は当事者たる九電の「やらせメール事件?」が表面化した。

 玄海原発再稼働に向けて県民の意志を検証する、国主催のテレビ番組で「再開賛成」の電子メールを送るように九電幹部が指示していたというものである。当初は担当部門の関係者が依頼のメールを九電系企業に発していたとされたが、調査が進むに連れ副社長らが関与していた事が判明。加えて、これらの指示に至った原因が原子力安全・保安院、佐賀県知事にもあったと傷口は広がるばかりであった。筆者に云わせれば九電幹部は阿呆ばかりである。確かに再開賛成の声は多い程よいかもしれない。しかし、日本の現状では原発は必要不可欠である。「やらせ動員」などしなくても再稼働は容認されるのである。電力会社、国会議員、財界、経産省とべったり癒着しているではないか。しかも、これまで数10年間事故なく営業運転し、法に従って運転を休止、定期点検を行って運転再開を待つばかりであった。玄海町を始め、佐賀県には関連投資が行われ、財政的な基盤となっており、住民も原発関係に就職している者が多く居る。九電がなすべきは、現在の日本に原発は必要不可欠の存在であること。九電が設置している玄海、川内両原発が安全なこと。今後も耐震性を高める努力を怠らないこと等を九電管内の住民にじっくり説明し、信頼を得る広報活動に力を入れるべきではないか。住民と九電を結ぶのは信頼という絆の筈。一地域一企業の驕り商法が招いた不祥事である。


原発賛成 やらせメールは犯罪か
反対派は責任問われず 原発反対

 東電福島第一原発事故後、久し振りに「原水協」「原水禁」の文字を新聞で見た。かつての社会党系と共産党系の反原水爆団体である。両団体とも隣国支那が原爆を保有するまで活発に活動していたが、支那が保有し、日本国内に原発が次々と建設されて稼働、国民も必要性を認め(騙されている部分はあったが)る空気が拡がると何時の間にかメディアから消えていった。日本初となる東海原発建設について、国が国民に賛否を問う説明会、アンケート等を行った(と記憶している)際、公聴会等には建設賛成派、反対派が大量動員をかけたのは、当時常識ではなかったか。

 そして現在だが、原発増設などの公聴会の際、労組を中心に反原発勢力は「有給」で動員をかけると聴いている。当然建設する側も反対派に対抗する意味もあって動員をする、これも当然の事であろう。今回問題となった九電、四国電力等は所謂"公共性"の観点から世論、リベラルメディアの攻撃を受けたもので、刑法に何ら触れる所はない。当然と云えば当然だが、やらせメール指弾の急先鋒は朝日新聞を始めとする左翼有識者ら。何れは脱原発だが、現状維持派は産経新聞を始めとする常識人(保守派と呼ばれているが)に二分されているのも面白い。論の曲直は10年後には出るか。



 小紙が落水清弘市議(元議長)を中心とした社会福祉法人「桜ヶ丘福祉会」争奪戦を報じたのは、平成21年7月号であった。数カ月前から、同法人についての様々な噂は耳にしていたが、魑魅魍魎が跋扈していた為、実態の把握が出来なかった。しかし、平成21年7月15日、それまで「兄弟分」とも見られていた東三起夫氏(星峰会理事長)が落水氏を相手に1億2500万円の損害賠償を求めて熊本地裁に提訴したのを受けて第1報を報道に続いて第2弾、第3弾と福祉法人を巡る利権争いの内幕を暴いた。

 最近の風聞で、落水市議は「県民新聞には東氏から多額の金が出ている」と周囲に話しているらしい。それも宜なるかなと分らないでもない。小紙が動きだしたのを知った落水市議は数人の知人に「県民新聞を何とか止めてもらえないか」と泣きついたのである。その中の一人には金額まで示した。が、筆者はその全てを拒絶した。市議という公の立場を利用して利権獲得に動いた落水市議や紫垣元市議(これも議長経験)が許せなかったのである。落水側から見れば「○百万円出す」と云ったのを断ったのは「他からそれ以上の金を貰っているのだろう」と解釈して当然である。で、ここではっきりしておく。東氏からは勿論、藤院氏からも一銭だって貰っていないとね。その事実関係は、この件(高裁判決)が落着した後、小紙の記事が証明する事になると思う。自己弁護になったが、前記金銭授受に関して落水市議周辺で"定説になっている"と聞いたので一言。

 前号は、東氏が1億2500万円の損害賠償を求めた民事裁判で落水氏が敗訴した判決文を中心に記した。本号では角度を変えて原告側が提出した準備書面「原告第7準備書面」を下敷きにして述べる。福祉利権に絡んで蠢く陰の紳士達が見えてくるだろう(原告第7準備書面は単に準備書面と表記する)。地裁に提出されたのは平成23年1月24日付。

2頁「第1 本件契約を締結するに至った経緯」

1 原告と被告落水の関係」の中から要点を記す。「原告と被告落水の関係は、高校と大学の先輩と後輩の関係にあって、大学の同窓会でも一緒になることが重なったことや、平成2年に死亡した原告の三女の熊本市営墓地の確保を被告落水に依頼したことなどから交際が深まり、長年にわたり友人として親密な関係を続けてきた。原告は被告落水を星峰会の理事に就任させたり、平成6年頃からは被告落水の市議会議員選挙や政治活動を政治資金面などでバックアップするようになり、1回につき約金100万円から金1億円の紙袋に入れた現金を、多数回にわたって、被告落水に対して直接手渡していた(筆者注、1億円については時期が来たら渡した理由を報道する)。
2 平成16年4月、被告桜ヶ丘福祉会の理事長であった藤院了幸(以下「了幸」という)が金1億3500万円を私的に流用した問題により、了幸及び妻行子が被告桜ヶ丘福祉会の理事と理事長から解任されるとともに、十時義七郎(以下「十時」という)が新理事長に、緒方、村岡、糸木幸弘(以下「糸木」という)の3人が新理事に就任し、理事は合計6名となった。6名の理事のうち、十時、吉田憲史(以下「吉田」という)糸木、村岡、緒方の5名と了幸は、野田毅衆議院議員の後援会の幹部であり、昔からの知り合いであった。また、被告落水は野田毅衆議院議員の私設秘書をしており、上記6名とは以前からの知り合いであった。桜ヶ丘福祉会の新しい理事会と十時理事長は、被告桜ヶ丘福祉会の再建のために経営支援者を求めたが、その条件は
【1】 了幸が被告桜ヶ丘福祉会に対して返還すべき債務や了幸個人の債務の返済等の資金として合計5億円の資金の提供ができること。
【2】 了幸の家族の収入の保証であったが省略
【3】 平成16年4月末頃、原告は、新聞記事で、上記了幸の資金流用問題を知り、被告桜ヶ丘福祉会が運営している保育園等の施設を譲り受けることなどができないかを検討するために、被告落水に調査を依頼し、活動費として現金2300万円を被告落水に手渡した。被告落水は、被告桜ヶ丘福祉会の十時理事長に、原告の資金提供の意向を伝えて、原告のために活動した」以上陳述書をなぞった。

 この時、桜ヶ丘福祉会はM氏を候補者として交渉していたが交渉は不成立、新たに支援者を外に求めた。平成17年4月に原告は桜ヶ丘福祉会の運営状況を把握した。同年5月潟hゥヨネザワも手を挙げ、理事2名の就任を条件に4億4275万円の支援を申し出た。原告も被告落水と連名で4億500万円を援助する旨申し入れた。落水と連名になったのは、それまで桜ヶ丘福祉会と交渉に当っていた落水が「星峰会を有利に導くには提案書に自分も名前を連ねる必要がある」と原告を騙したからである。理事会はドゥヨネザワ案受入派と落水、原告案受入派が3対3と拮抗していた。原告は当時別の保育園開園の準備に手を取られ、交渉は被告落水に一任していたのである。平成17年10月頃、被告落水が「ドゥヨネザワに勝つには…6億円程度必要だ」と伝えられたが、増額は出来ない」と断り、この段階で桜ヶ丘福祉会に対する支援交渉は終ったものと理解した。その後の動きは小紙がこれまで報道した通りである。


落水市議の巧智
濡れ手で粟狙った

 前述の通り、桜ヶ丘福祉会存続を巡る確執は、落水市議が介入した事で大混乱を来たしたのである。当初、了幸氏らと親しかった十時氏ら野田毅衆議院議員秘書団は何ら利権を狙ったのではない。野田議員の支援者でもあった藤院了幸氏の窮状を救う為の手立てを模索していたのが実情と見られる。そこに利権に聡い連中が理事に入り込んだ(了幸氏にも責任の一端はあるが)。落水氏は星峰会理事長から調査や交渉を依頼された"走り使い"であった。そんな男がキーマンになったのである。

  その手口は、了幸氏と親しい柴垣正良市議から十時氏を紹介された事から始まった。以後理事との交渉は、落水氏が個別に行って主導権を握ったのである。前述の通り東氏の代理人として動き、ドゥヨネザワを支持する糸木幸弘(元吉田病院事務長)、赤池廣美(糸木経営の病院勤務を経て吉良朋広氏経営の光明クリニック事務長)、吉田憲史(吉田病院理事長)の3氏を理事から下ろす為の交渉を村岡理事に依頼した。村岡理事は3人の理事が下りる条件として出された"辞任料"1億円を落水氏に伝え、落水氏も了承した。この前後に落水氏は、吉良朋広理事長のスポンサーとも云えるN氏と接触しており、心は東氏から吉良氏に移っていたものと解される。以前小紙が報道した落水清弘、吉良朋広氏の「兄弟盃」の立会人となった元有力暴力団組長のA氏と柴垣氏らの仲介により落水氏は吉良氏のスポンサーであるN氏を知る事になる(N氏談)。以後N氏は娘婿である吉良氏が桜ヶ丘福祉会の経営権を握られるようにと金策に走る事になる。

 「桜ヶ丘を得る為私は2億9千万円作った」とN氏自身が筆者に語っている。即ち、落水氏は、出したとしても「自己資金」は1000〜2000万円でしかない(判決文)のである。落水氏に議員歳費以外の収入は無い(筈)だが、桜ヶ丘福祉会に1億数千万円の資金援助をしている。その原資は吉良氏であり、東氏が勝訴した1億2500万円と見れば納得がいく。落水氏は使い走りの役から、桜ヶ丘福祉会から分離された2保育園を入手(まだ確定はしていないが)した事になる。吉良氏が入手した福祉法人の理事7名中4名が吉良氏側だ。今後の展開がどうなるのか面白い。
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