熊本県民新聞 WEB版
本紙の信条

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■ 発 行 所 ■
〒861-8034
熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

電話:096-234-8890
FAX:096-234-9883


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 熊本駅前に立地するホテルニューオータニ熊本は、平成4年9月地元財界とホテルニューオータニ(東京)が資本提携して開業した。どのホテルも似た様なものだが、ホテルには宿泊部、飲料部、宴会部に大別される。今回小紙が採り上げるのは飲料部洋食課(レストラン、フォンタナ)である。

 小紙が情報を得たのは今春であるが、裏付け取材に時間を要し本号での報道となった。被害社員の特定が難しかったが、関係者の協力を得て被害者の証言を得る事が出来た。数人から証言を得たが、情報源の特定を避ける為、一部報道を暈ぼかしている事をお許し頂きたい。助平従業員を先に述べる。

 部内トップのM支配人、飲食マネージャーのTT(Tが2人居る為マネージャーをTTとした)。あとTとK。M支配人は63歳前後、自分が気に入らない事があると暴言を吐く。そのくせその女性の胸を触ろうとしたり、食事に誘うが“成果”はないらしい。問題は36歳前後のTTマネージャー。バツイチの噂もあるが、誰も確認はしていない。

 このTT、新入女子社員が入社するといち早く誘う。それも豪華レストランならまだしも、ミスタードーナツや、安いファミレスだ。断ってもしつこく誘う。職場でも「名札が曲っているよ」と云って直す振りをしてさっと胸を触る。途中入社した嘱託社員を「飲みにいこう」と誘い、強引に酔わせて自宅に連れ込んで卑猥な行為に及んだ(その後女性は退職)。未成年の女子社員も誘い続け「酒は飲めない」と云っても「ジュースだけでいいから付き合って」と迫り、断わりきれずに付き合った女子社員に飲酒を強要しビールを飲ませた。「何もしないから家まで送って」と強引に自宅に連れ込んだ途端「あんたが好きだ」と云って後から抱きつき胸(おっぱい)を掴んだ。怒った女子社員は家を飛び出したという。「この事件が切っ掛けになったか分らないがその女子社員は情緒不安定になり精神科に通った様だがその後退職しました」と元同僚は語っている。

 Kも数年前女子従業員と男女の仲になった。誘ったのはKだが、女子従業員が受入れたのでこれはセクハラにならないか? 2人の仲が噂になり女子従業員は退職し、暫く交際が続いた様だが結婚には至らなかった。

 もう退社しているが、Iも女子従業員にメアドを聞こうとして断わられると携帯電話番号を教えろと迫る。新入社員の歓迎会や、退職社員の送別会など飲み事も多く、それを利用して未成年者(同部は新卒の高校生など採用)に飲酒を強制し「隙を見ては胸を触ろうとする」と別の女子社員が語る。まだ事例はあるが紙幅の都合で止めるが、女子社員に対するセクハラは言葉でも行われている。曰く「尻がデッカイな。キスさせろ、ラブホに行こう」などなど。古参の女子社員(中華や和食の千羽鶴など)も若い社員に皮肉を言ったりするのはざらと云われる。早い社員(嘱託)は2カ月で辞めた例もあるが昨年は10年勤めたベテラン女子社員も「こんな職場には居れない」と退職している。



調理部・衛生面に不安も
 ホテルニューオータニ熊本の洋食部は「フォンタナ・ディ・オータニ」と呼ばれ、同ホテルの洋食部門を担当している。と云っても食事はバイキング方式、ランチ時は大人1458円、ディナー大人3780円で食材は余り高級ではないが「味はまずまず」の様だ。過去「牛肉の赤肉に牛脂を注入して“高級肉”」に偽装した事件があったが、その取引先に同ホテルの名が挙った事もある。調理場の衛生状態は決して良いとは云えず、関係者の話では「調理直前の食材の置き場がない時は床に置く事はざらで、それを調理の者が跨ぐ事も珍しくない。出来上ったカレー鍋を床に置いていた時など何人もがカレー鍋を跨いで動き回っていた」と語る。華やかさを競うホテルの裏方は「人に見せられない」とはよく聞く言葉だが、こうした実態を耳にすると「やはり」の感が拭えない。

 同ホテルの人事管理も万全とは云えず、100名前後の社員が在職しているにも拘わらずタイムカードが設置されてなく記入式と云う(筆者は確認していない)。出勤、退勤は自己申告型で、遅刻した場合正直に「5分遅れました」と申告すると、その日30分の残業が課せられる。勿論サービス残業の為残業手当は付かない。で、要領のよい社員は自己申告しないが、それを知った他の社員が総務課にチクる事はないという。

 社員の一人は「人事に限らず色々な面で総務は社員の実態を把握していないのではないか」と語り、出勤状態も現場任せの様である。職場が“セクハラ放任”状態に嫌気して辞めた元中堅社員は「年に1回セクハラ講習会が行われ、関係先から連絡が来ている筈ですが、私は1回も出た事がありません。上司が『あんなのに出ても意味がない』と云って出してくれないのです。これじゃセクハラが無くなる事はありませんね」と話している。トップもよく替っている様だが、原因はその辺りにあるのかも。



 畜産業者が熊本市の対応に不満を抱き業者らとの対話を求めたが、担当部局の農水商工局は無視した。困った業者は善処方を求めて馬場代議士事務所、野田毅代議士事務所に仲介を求めたが事態が動く事はなかった。その結果農協婦人部会長で市議の北口和皇議員に仲介を頼んでみようとなった。豚業者3社の内「肉のオオツカ」の大塚唯雄社長は北口議員と交流があったが、あと一人の栗山重信氏は面識がなかった。その為大塚社長らは北口議員の有力支援者である出田新一氏に「北口議員に紹介してほしい」と頼んだ。出田氏は2人と共に北口議員に会い、仲介を依頼したが北口議員は「代議士事務所が出来なかった問題を今頃私に持って来ても引受けられない」とはっきり断った。所が2人を紹介した出田氏が変な男気を出して連日北口議員に電話攻勢をかけたのである。根負けした北口議員が仲介に入ったが、頼まれた業者らの意向を意識した為業者側の立場から強く農水局長らを責めた。又、農水局側にも責任回避など無責任行為は多々あった。本号特集版でも北口議員に辞職勧告が出された不合理を追求している。市と業者の拗れた問題を解決し、そして調印式となった訳だが、持前の自己主張の強さが禍いして思わぬ方向に事態が展開、議員辞職勧告を受けるに至った。暴言(数分)と、云わずもがなの発言が招いた結果であり、小紙も北口議員を庇う気もないし義理もない。が、この議員辞職勧告には納得していない。



村上(寅)県議債権逃れた?
噂は本当だった“資産温存”
 熊本県議会の重鎮と云えば聞こえはいいが、単に当選回数が多いだけで重鎮とは云わない。人格識見が具わってこそ云える言葉である。当選回数が多いだけでは“古狸”の呼称が妥当だろう。前置きが長くなったが、その古狸、村上寅美元県議会議長が創業した(株)ヨーマン、九州建装(株)が経営不振から休業状態である。両社併せての負債は15億とも18億とも云われている。大口の債権者である金融機関は勿論の事、一般事業者達も“虎の厚顔”に回収は諦め気味の様だ。ヨーマン関係については後日報道する。ここでは巨大な債務を負っている代表者の居宅、土地が“無傷”である所に注目したい。

 10年程前から県議、経済関係者の間で「村上県議がヨーマンの倒産に具えて個人所有の不動産などの名義を変えている」という噂が流れた(蒲島さん、貴方の好きな噂ですよ)。筆者は小紙を講読(年間5万円)して頂いている村上先生の会社が不振であっても経済紙ではないので無視していた。しかし、熊本県発注事業を“喰い物にしている”と確かな情報を得たので「こりゃ5万どころではない」と涙を飲んで前号から村上批判を始めたのである。問題の土地、建物は西区河内町河内に在る。土地は874u。みかん畑を平成13年5月に買い、翌14年12月宅地に変更している。この日付けは、同地に安藤忠雄氏設計と云われる鉄筋コンクリート造陸屋根、1階125u、2階102uが新築完成した日付である。即ち村上氏は地目変更前から住宅の建築を行っていた事になる。建築許可を出した熊本市に責任はないのか。同じ日付で同敷地内に木造瓦葺平屋建193uも落成している。同時に2棟を新築しているのである。金持ちとは羨ましい存在だな。ここからが村上氏の頭の切れる所だ。平成14年12月1日付で登記された安忠建物の方は村上氏の長男(後に死去)名義であった。長男は(株)ヨーマンや他の関連会社の役員を務めていたが、主に村上氏の運転手をしており、数千万円の自宅を新築するだけの収入があったとは思えない人だが。和風の豪邸の方は新築時は村上氏の名義であったが、翌年には村上氏の妻に宅地共ども贈与された。その妻も死亡した為長女Aさんが相続して現在に及んでいる。この宅地、2棟の建物には住宅ローンとして5000万円の抵当権が肥後銀行により設定されていた。連帯債務者は村上氏と長男である。この5000万円の債務は平成27年8月7日付で放棄されている(登記簿上の放棄、解除とは債権者側が貸付金をチャラにすること)。熊本法務局も「返済、弁済ではない、債権者側が債権を放棄した時に記入される」と説明している。



村上県議 尻に火が点いた?
資金稼ぎで“仲介業”活発化
 村上寅美県議の「経済的全盛」時代は平成10年頃ではなかったか。(株)ヨーマンをはじめ九州建装(株)も順調に業績を上げていた。これで調子に乗ったか、更に事業欲が出たのか。倒産した「火の国ランド」の跡地を買収、同僚県議らと分譲住宅地の開発を始めた。村上県議の話に乗って一緒にこの事業を始めた県議の建設会社は、これが原因で倒産した。あと一人の県議は宅地事業に詳しく「造成費を考えると売価を高く設定せざるを得ないので売れないだろう」と読んで参加を断った。これが正しい判断であった。完成した分譲地は売れず、重い負債が押し掛かって他の事業にも悪影響を与え始める事になる。さらに平成14年12月に二軒の“豪邸”を同時に建てる挙に出て住宅ローン5000万円を組んだ。しかし巷間この二軒については「設計料は格安、家は無料でT工務店に建てさせた」という噂が流れた。筆者はT社長を知っていたので噂について尋ねたが、T社長は「そんな事はない」と噂を否定した(その後倒産)。(株)ヨーマンと系列会社の債務、経営等については次号で詳報するが、ここでは資金稼ぎの手法を大雑束に述べる。

 村上県議の選挙資金などの源は(株)ヨーマンを中心とする系列会社であるが、大方は鰻の輸入と養鰻である。ヨーマンが好景気で伸びたのは地元スーパー寿屋の伸張と軌を壱いつにする。ヨーマンは生鮮食品を一手に納入し利益を上げたが、ヨーマンと寿屋の間にトンネル会社を作って中間マージンを得ていたのは有名な話(須崎社長も同類)。ヨーマンの前身は昭和49年に設立した熊本養鰻(株)で、その翌年に熊本県養鰻漁業協同組合を設立、代表理事に就任。昭和61年1月、肥後養殖(株)を資本金3000万円で設立した(以降同社が銭儲けの柱になる)。平成13年2月資本金を1億2000万円、同5月2億円、同6月2億8000万円。平成14年2月肥後養殖を九州生鮮(株)に名称変更、同3月資本金3億円に増資した。

  一方資産の方は肥後養殖設立時、現北区植木町正清に約7000uの土地を購入、鉄骨スレート葺の鰻の養殖場(4プール)を作った。この時熊本ファミリー銀行から1億7000万円の根抵当権が設定されている。翌年伊藤忠飼料と熊本養鰻の間で1億円の根抵当権が設定された。昭和62年10月熊本養鰻と合併した。平成1年6月熊本ファミリー銀行が3億3000万円の根抵当権を設定している。平成4年に熊本養鰻の名称は(株)ヨーマンに変更されたが、何故か肥後養殖は生き続け平成14年に九州生鮮に名称変更が行われている。その後九州生鮮は「うなぎ偽装」が発覚した(平成18年)が、村上県議は「平成5年に営業譲渡して今はグループではない」とメディア関係に語っているがこの虚言は小紙が詳細に報じている。以下次号。



金峰会ゲストハウス
九州農水(株)(娘が社長)に売却
 村上寅美県議が公私で“会議室”として使用している「金峰会ゲストハウス」を担保にした借入金や返済について疑惑が生じている。

 金峰会は村上寅美後援会名でもある。同所は約100坪の敷地に木造瓦葺平屋建の家が建ち、南側は瀟洒な庭園が造られている。村上氏は、平成4年9月に同地を購入、前記家屋を新築した。購入時熊本市農業協同組合が6000万円の根抵当権を設定しているので購入建築資金の一部に充てられたものと思われる。債務者は村上寅美氏。この抵当権は平成13年12月に解除後平成14年11月26日根抵当権を抹消。同29日7000万円の根抵当権が熊本ファミリー銀行によって設定。債務者は(株)ヨーマンである。

 平成21年2月13日根抵当権者が福岡銀行に移転したのは熊銀と福銀の合併によるものだろう。しかし、同日付で福岡銀行は権利を放棄、同18日「根抵当権の元本確定」の登記がなされた。

 平成22年4月23日根抵当権の一部移転、根抵当権者が熊本県信用保証協会に替った。同日付で同保証協会が一部代位弁済。弁済額は7326万5601円。所が平成24年3月5日付でこの根抵当権が抹消された。原因は解除。弁済ではないのでヨーマンが返済したのではない。以前から「県議が資金繰りに困ったら県信用保証協会に行く」と囁かれているんだが…。

 平成27年6月、この土地、家屋に3600万円の根抵当権者が九州幸銀、債務者九州農水で設定された。7千万の行方は?


和風の邸宅とその裏に建つ鉄筋2階建居宅
和風の邸宅とその裏に建つ鉄筋2階建居宅



違法・社会福祉法人売買
落水清弘市議の詐欺的手法
1億2500万裁判で完敗
  落水市議の悪業について、今更書くより既報の小紙を読んで頂く方が早いと思って大きく掲せた。

 一読して判る通り落水清弘市議は、別の福祉法人理事長に頼まれ桜ヶ丘福祉会の“乗っ取り”に動き出した。当初使い走りだった落水氏だが「市議」の強味と巧智を使って乗っ取りに成功した。その後2分した桜ヶ丘福祉会の内、植木町の保育園を星峰会の東理事長に売却を約束した。東理事長から売買代金1億2500万円を受取った落水氏だが、1年後に「そんな金は貰っていない」と云い出した。東理事長側が返金を求めて提訴、熊本地裁、高裁も落水氏の訴えを退けた。

 落水氏は最高裁に上訴したが門前払いになる前に取り下げ敗訴が決定した。市議会議員としてやってはいけない行為であるのは明白。だがメディアは深追いする事もなく、判決時にベタ記事で報道しただけであった。北口暴言発言より数倍以上の不祥事であるにも拘わらずである。市議会の方も一部議員の間で議員辞職勧告すべきではないかの声も挙ったが、すぐに消えた。落水氏が某有力議員に泣きついた結果であろう。

 一方で落水氏が「そんな事をしたら自分が掴んでいる情報を曝け出す」と尻を捲ったとも云われていた。結果的に役職辞退と所属していた自民党市議団から出る事で一件落着となった。

 自民党市議団という集団に守られ、多分他の議員の不祥事も握っていた事も有利に働いたと思われる。反面、北口議員は無所属の一匹狼、しかも女性議員である。加えて日頃の言動が他の議員との間に溝を作っていた。敬遠される存在であったのは確かである。「暴言と不当要求に当る」として「熊本市不当要求行為等防止対策会議」の調査報告書にも謳われている。何度も書くが、北口議員への処分に文句を云うつもりはない。それ以上の悪を見逃して来た議運に不満があるのである。



許されるのか議場内での取材
のぼせ上ったメディア暴走
 熊本市議会は11月27日に開会した議会で、北口和皇議員に対する“議員辞職勧告”決議を全員一致で可決した。筆者なりの理論では、この提案、可決について異論を持つが、可決そのものに対して異議を唱えるものではない。問題はその後のマスメディアの動きである。新聞社、テレビ局のカメラ、記者達は閉会した議場に雪崩込み、北口議員を取り囲んだ(各テレビニュースで視聴)。悪く勘繰れば「北口議員のコメントを取る為逃さない」雰囲気が見て取れた。よく「神聖な議場で」とか「議場は神聖な場所」との謂いがある。その議場の中の北口議員の席に押し寄せて取材する事が許されるのであろうか。それを許した(黙認した)議会事務局の責任も問いたい。この件で何人かのメディア関係者に聞いた。誰れもが「あれはやり過ぎ」と云い、某氏などは「やってはならないこと、取材のルール違反だ」と断言した。議場の出入口は3カ所である。記者らは3カ所の出入口に手分けして待機すれはよいだけのこと。北口議員にしても、いつまでも議場に残る事はないだろう。28日付北口議員のコメントはこの議場で取材されたものと読者は知って頂きたい。同じ出来事は11月4日の議員運営委員会でも“発生”している。問題発覚後北口議員は病気を理由に入院、記者達の事実確認の為の取材要請や、文書での取材要求に一切応えなかったらしい。その反動もあってか議運終了後会場を出ようとする北口議員の前方にカメラ、記者らが立ちはだかって北口議員を“閉じ込めて”取材した。この日、北口議員は議運が終ったら、きちんとした場で記者会見を予定していた。それを事前に幹事社に伝えていなかったのか、無視されたのか。肥っていても逃げ足の速い北口議員にはそうするしか途はなかったからか。報道人としての見識を問いたい。



  平成27年11月27日付熊日、4面で東大名誉教授姜尚中氏を公益財団法人熊本県立劇場の理事長、館長に就任が決定したと報じた。26日の役員会で承認されたもので、かねて蒲島郁夫県知事が「熊本の目玉」として就任要請していたのに応えたものだ。蒲島知事が姜氏を招聘したのは“身の回りに有名人を置きたい症候群”の一つか。五百旗真県立大学長を招んだのと同根だろう。

姜尚中氏は在日二世。父は戦前(昭和6年)職を求めて来日。許嫁であった母も昭和16年来日して同居生活を始める。昭和20年8月終戦により名古屋から熊本市春日町に転入。通称「朝鮮人部落」と呼ばれていた朝鮮人バラック100戸程在った集落に住む。昭和22年8月兄が生れ、姜氏は昭和25年8月、2男として出生、永野鉄男を名乗る。当時両親はドブロクの密造や、廃品回収で生計を立てていたが、周囲からの差別もあって苦しい生活を送っていた様だ。昭和31年頃一家は清水町室園の小さな家に引っ越す。父母は昼夜を問わず廃品回収業に励み生活は豊かになった(この仕事は兄が継ぎ廃品業者の大手となった)。姜氏は、清水小学校から龍南中学に学び県立済々黌高校に進む。一浪後早稲田大学政経学部に進学する。大学在学中「韓国文化研究会」に入会して活躍。丁度第2次安保闘争の最中であり、ノンポリで学園紛争に参加していた様だ。在学中訪韓した際「自我に目覚め日本名を捨て本名姜尚中を名乗る様になった」(自著『在日』)と記している。

大学卒業後政治学を目指して大学院政治学研究科博士課程に学ぶ。西ドイツ・エアランゲン大学に留学後明治学院大の講師となる。この頃キリスト教の洗礼を受け、これが縁で国際基督教大学准教授となり、平成10年東大助教、平成16年同大学院教授に就任する。平成25年3月、定年3年前に東大を退職、それまで住んでいた流山市の自宅を売却、埼玉県の上尾市に転居した。同4月から将来の学長含みで聖学院大学の全学教授に就任、同7月の理事会で六代学長に承認。当初5年の契約であったが2年を勤めた今年3月31日付で“自主退職”した。14日の卒業式では学長として式辞を読んだが、その6日後に「諸般の事情」を理由に辞意を表明した。

姜氏は学長に就任するや学内の「改革」を始め、財務状態を把握、70歳定年の見直し、非常勤職員の勤務時間短縮に着手するなど財政立て直しに務めた。その過程で理事長らの交際費の乱脈振りも暴いたので「経営陣の怒りを買った」「大学運営にまで口を出しだした」のが原因と云われているが、現在の所真相は明らかではない。その姜尚中氏に目を付けたのが蒲島知事であるが県劇館長職、無事に務まるか。



親韓反日・天皇制否定
姜尚中氏の反日は徹底している。昭和54年ドイツから帰国して住居に定めたのが埼玉県上尾市の公営住宅である。丁度その頃「指紋押捺」制度が施行、全国的に押捺拒否運動が盛り上っていた。その急先鋒だったキリスト教上尾合同教会の土門一雄牧師(姜氏はこの教会で洗礼を受けた)や、市民運動家の支援を受け埼玉県で“指紋押捺拒否第一号”となった。その後も改憲運動が高まる中、平成17年3月護憲団体の機関誌「マガジン9」の発起人に佐高信、椎名誠、小室等らと共に名を連ねた。「マガジン9」は憲法9条、99条の立憲主義擁護を掲げた反戦平和、原発廃止活動を行っている。
姜氏は、平成22年8月韓国ソウルで開かれた金大中逝去3周年記念式典に出席した。当時日韓の間は、李明博大統領の竹島訪問、今上天皇への謝罪要求等で険悪な雰囲気にあった。式典で姜氏は李明博大統領の竹島訪問と天皇に謝罪要求について「特に日王に対する発言が最も大きかった。独島問題だけであればこれ程問題にはならなかった」と云った主旨の発言をしている。
日王は、韓国人が日本の天皇を卑下した時に使う言葉であり、それを平然と遣う所に姜氏の本性が潜んでいると見る。又、自伝の「在日」の中でも幼少時代から高校時代に於ける“在日差別”についても恨みつらみを書いており、一読した筆者は以後姜氏に対し「寛容性に欠けた韓国人」として見るようになったと記憶している。その姜氏を県劇館長に招いた蒲島郁夫県知事も同類としか筆者には思えない。



 前号、「5 タイトル、本件記事1及び2が私に与えた影響」の「蒲島県政の基本は政治的信頼にあります」に続く。「私が一期目で財政再建の道筋をつけることができたのは私自身の月給を100万円カットし、それに応じて県職員が給料カットを了解してくれたこと、また県民が各種補助金の40%カットを納得してくれたことによります。その結果、4年間で1000億円の県の借金を返すことができました。県職員や県民の了解を得ることができたのは、私に対する政治的信頼の賜物だと思っています。また、国に逆う形で川辺川ダムの白紙撤回を表明できたのも、県民の私に対する政治的信頼の大きさだと感謝しています。このように、知事が正しいと思う決断をすることができるのは県民の政治的信頼がベースにあるからです。県政の基本である政治的信頼をこのような虚偽の報道で失墜させる行動は、熊本県にとって莫大な損失です」と述べる。

 前号までは「蒲島陳述書」を中心に書き、論評は「後で纏めて」と思ったが、それだと号を跨ぐ事になりスペースも必要となるので本号では区分して批判と評論を行う事にした。先ず知事が自賛する「給与の100万円カット」について。

 蒲島知事が就任した時、県財政は細川知事時代から引き摺っていた財政問題があった。「再建団体への転落も視野にあった」と当時の県幹部も語っていた程である。こうした情勢下で各自治体が行うのが手っ取り早い職員の給与カット、補助金カットである。実施に当ってはトップが率先垂範するのは理の当然。この時の経緯については、前号で小紙平成20年5月20日号4面を左肩に掲せた。虫メガネで読めない事はないが、一部をここに記す。「給与カットの裏事情」の見出しの本文「公約の一つである『当選したら自分の給与百万円をカットする』は早速議会の承認を得て実行された。中略。ボーナスについては裏話がある。選挙中蒲島氏は給与の百万円カットとボーナスの返上を宣言した。これに好感して蒲島氏に投票した善良な県民も居る事であろう。この時蒲島氏は『県知事の給与は二百二十万円と思い違いをしていた様だ』(支援した県議の話)。所がいざ当選してみると知事の報酬は百二十四万円と知った。大きな誤算であった。

 で、考えついたのが(筆者の邪推)ボーナス返上を撤回する事であった。県幹部に事の経緯を話し『臨時議会で修正』となった(某県議談)。因に、蒲島氏の平成19年度の所得は「一三五〇万円であった」と記している。さらに云えばこの頃「蒲島後援会には5千万円近い残金があった」と某氏が語ったが、筆者は真偽を確めてはいない。蒲島知事は盛んに「県民との信頼関係がある、蒲島県政の基本は政治的信頼関係にある」と述べているが、給与カット時の県職員の不平不満は耳に届いていないのだろう。筆者は至る所で聞いたんだが…。県民から信頼を得ていると自画自賛する蒲島知事だが、二期目の低投票率をどう捉えているのか。



小紙報道・熊日が裏付け
 小紙は蒲島知事発足2カ月後から蒲島批判を始めた。動機は一通の内部告発からである(告発者は多分定年退職していると思うが謝意申上げる)。筆者なりに裏付けを取って報道したのが平成20年5月号である。

 記事の中で「知事は酒癖が悪く、酔うと暴言を部下や周囲の者に浴びせる」というものであった。この記事についても陳述書の中で蒲島知事は「その様な事実はなく虚偽の報道」と切って捨てたが、知事の酒乱傾向は県政記者クラブで知らぬ者は居ない。

 熊日紙を一例に挙げて申訳ないが、下に載せたのは今年1月7日付熊日「十字街」である。記事は、県庁地下食堂で始ったハンバーグ定食に因むもので、「『知事はウォーキングもして3カ月で3キロ痩せる』と宣言。周囲からは『酒量をどれだけ抑えられるかが鍵だ』との声も漏れるが、有言実行!?」と、図らずも「大酒飲みを裏付ける」記事を発見、利用させて頂いた。



蒲島県政誕生直後から批判続けた
恨み骨髓・読めず隙を作ってしまった
 蒲島郁夫知事が何故あの様な“些細”なコラム記事で小紙を名誉棄損で提訴したのか。“些細な記事”は筆者だけの思いではない。提訴を知ったメディア関係者、法曹関係者が「え、あんな記事で知事が提訴したの」と驚きの声を挙げた。賠償要求額550万円についても「どんな計算をしたんでしょうね」と云う者も居た。以前にも書いたが、提訴された直後知人の県警関係者に聞いた。その関係者はこれらの法律に詳しい人物で「福島さん、例え噂であってもそれを記事にしたら名誉棄損になるんですよ。但し、あの程度の記事では県警は受理しないと思いますがね」と解説してくれた。

 その後、県警幹部から「蒲島知事の意向だとして県庁幹部から『県民新聞を告訴したい』として相談を受けた」様だ。その幹部がどの様に回答したか知らないが「刑事告訴で受理し、送検しても不起訴が見えていたので民事に変えたのではないですか」と聞いた。名誉棄損の賠償額については「自分の心がこれだけ傷つた」として100万円、1千万円を請求しても「本人がそう感じた」のであればこれを否定する根拠はない。

 所で、これまで書いて来た“蒲島陳述書”の中で知事はそれまで批判を続けた報道内容を否定し、“虚偽の報道”と述べている。平成20年4月、熊本県知事に就任した蒲島氏だが、その翌月小紙5月号で「県政任せて大丈夫?蒲島県知事の危い体質 給与カットの裏事情」と題して蒲島知事批判を行った(10月号4面に新聞掲載)。同じ面で「荒瀬ダム存続・九電への恩返しか知事公舎で県警幹部と懇談」の見出しでは、潮谷知事がやっと漕ぎつけた「荒瀬ダム撤去」を蒲島知事が何ら地元民や首長に相談する事なく“撤去凍結”を宣言したのを批判したものだ。

 又知事公舎で開かれた知事と県警幹部の懇談会で酔った知事が「君らは誰から給料を貰っているつもりか」と県警幹部に投げた言葉も、蒲島知事は「そのような事実はない」と否定している。が、筆者は県警幹部(警視、警視正)複数から証言を得ている。その内の一人は「知事就任後間がなく、警察幹部の給料も県費から出ていると勘違いしていた様だ」と知事発言は事実と語っている。これらの報道に加え、平成24年2月20日号、知事公用車運転手の残業手当(月額約20万円)報道など大手紙が書かない実態を報道。蒲島知事の怒りに気付かず隙を作ってしまった。

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