熊本県民新聞 WEB版
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〒861-8034
熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

電話:096-234-8890
FAX:096-234-9883


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 熊本市は本年一月、熊本市長嶺南二丁目で「長嶺南二丁目ふれあい公園」の開園式を行った。場所は左の地図に見るように、国体道路沿いに在る県福祉センター裏手の閑静な住宅街の一画である。一般紙報道ではここで終るが、小紙は捻くれ者であるが故にここから先が違う。

 この公園用地の取得に市の公園課が動き出したのは平成十九年春頃と思われる(断定出来ないのは今回の取材で公園課職員らが快く取材に応じない為)。

 小紙にこの地区の住民から「公園用地の売買で色々噂が立っている、お宅は熊日が書かない事(熊日さんすみません)でも書いてくれると聴いたのでお電話しました」と情報が寄せられたのが平成十九年の秋頃。その時の話の内容から前年、月出校区一町内が公園設置の運動を始めていると解釈したのである(現在市に用地取得の経緯の情報開示を請求中なので、次号で正確な日時等説明出来ると思う、内容は別として)。

 通報者の一人から「校区を地盤としている斉藤市議が一旦決りかけた他の土地を変更させ、自分の所有地を強引に押しつけていると聴いた」との情報があったので小紙も関心を持って取材にかかった。が、例の通り他の取材に追われこの件は後回しになっていたが、住民の通報通り斉藤氏所有の土地が熊本市に買収されていたので取材を進めた。その結果、住民が話していた「斉藤市議が強引に…」の事実は確認出来なかった。

 公園課は前述の如く斉藤市議を恐れてか(失礼)結果論として「用地取得、公園設置については一〇〇点満点の点数制度で決定している。斉藤先生の土地も、隣地も及第点を満しているから用地取得をしている。圧力は一切なかった。他の候補地については知らない」であった。

 従って斉藤市議の公正な性格からして自己所有(共有地)地を市に売りつける事は有り得ないと記録上納得した。で、他の関係者曰く「土地取得は公正を期す為点数制度を導入した。担当も部局長ではなく係長が採点していて、不正はない筈」と語った反面「確かにあの時は複数候補地があった、何故現在地に決ったかは私には分らない」と逃げ出す始末である。


用地候補は複数あったと関係者
公正な採点で現在地選定と公園課

  前述の様に、現在の公園課担当者は小紙の取材を歓迎していない態度がありありであった。

  公僕たる者が納税者である市民、事実を究明しようとしている小紙の老いぼれ記者に不快感を示した(余りのぼせていると筆誅を下すヨ)。自己保身に汲々としている小役人を相手にしてもしようがないので他を取材した。その結果「現在地(二カ所併せて一つの公園)より広く場所もいい土地(住人から見て)があり、そこに決ると思っていたが道路を挟んだおかしな地型の土地が決ったので驚いた」と現在の公園用地に決った点に疑問を呈する識者も現われた。

  右の写真でも分る通り「長嶺南二丁目ふれあい公園」は生活道路が真ん中を走っている。右の写真は、北から南に向って写した物だが、右手が某氏所有地、左側が斉藤市議と兄弟姉妹名義(各人ずつ)の土地であった。斉藤市議側は一二四〇m²、某氏は一二五一m²で合計二四九一m²、熊本市が公園設置の基準とする二五〇〇m²に近い。

  生活道路とは云え、朝夕は「公園間の道も車が多く走っている」と住民。因に公園北側道路は抜け道として朝夕は車のラッシュ、日中でも車の通行は絶えない。
  こんな地形の土地を市公園課は「公園適地」として取得した。右側は遊具設置完成で開園したが、左側は先頃やっと排水溝が完成したばかりで取材時は入園禁止中であった。



完成した西側の公園。遊具から見て幼児用か




市長初当選直後人事
I係長を保育課から秘書課に移す
女秘書随行宿泊二十八回も
 
  幸山政史氏は、平成十四年十一月の熊本市長選に県議から転身出馬、大方の予想を裏切って現職三角保之氏を破った。

  同年十二月四日市長に就任したが、その際「幸山なんかとやってられない」として有力幹部数人が幸山市長に辞表を叩きつけた。その月に緊急人事異動を行い、先ず身辺を固めた。これは何処の首長でも行う当然の異動であるが、問題は中味である。この時、幸山氏にはアドバイスを受ける市議や、市幹部は居なかった。元県議である父親の地盤、看板、かばんを引継いで県議に当選、二期目の途中で市長選出馬の為県議を辞めた。

  幸山氏は県議七年余の経歴にも拘わらず、市政について詳しい情報を得る人脈を作る事が出来なかったのである。その原因が幸山氏の人 柄 に あ る と筆者が知るのに時間を要しなかった。

  初の人事異動を幸山氏は誰に相談したか。市OBの某氏である。この事を知る者は殆ど居ない秘話の一つだ。このOB氏のアドバイスで、辞職していった幹部らの後任人事を行う事が出来たのである。そして話題の不倫相手となるI係長を保育課から身近な秘書課に異動させた。あと一人K主事を秘書課に移したが、この男性職員は幸山市長の同級生。市長選の折、市役所玄関口で選挙演説を只一人で行っていた幸山氏に手を振って応援した人物である。

  幸山市長が東京に初出張(市秘書課は旅行命令書起案)したのは平成十五年一月十六日〜十七日の一泊二日。この時は単身出張である。二回目が同二月十二日〜十四日の二泊三日で、随行秘書は同級生のK主事。以後七月九日の一泊二日まではK主事が随行した。

  そして七月十六日からの一泊二日の出張に始めてI係長を随行させた。出張名目は「九州治水期成同盟連合会出席」である。たかがこの程度の会合に秘書を随行させなければならないのであろうか。市民感覚では納得出来ない。二人はその夜宿泊先の千代田区紀尾井町在、赤坂プリンスホテル三十九階のスイートルームで結ばれた、と云いたい所だが、これは下司の勘繰り。会議終了後二人で`銀ぶらaする事もなく、有楽町のブランドディスカウントショップ「コメ兵有楽町店」に立寄る事もなく、宿泊先ホテルに直行、夫々の室に入って就寝、潔白に一夜を過したと想像する。以後I係長が秘書課在任中の五年間に四十七回随行、内二十八回は一泊以上の宿泊を行っている。因に同級生のK主事は二年間で外郭団体に飛ばされている。


強かI係長幸山出勤出迎えで
不倫真っ最中幸山夫人と雑談

  下の「写真3」「写真4」は平成十六年二月四日の出来事である。



  午前七時二十分頃、市長専用公用車ホンダレジェンドが幸山市長宅に横付けされた。中から下りたI係長が幸山宅に入ってすぐ出て来た。多分「お迎えに参りました」と連絡したものと思われる。そして車の横に立ち幸山市長を待つI係長(写真上)。程なく出て来た幸山市長が後席に乗り込む(写真下)その時、I係長は幸山宅玄関で中の人物と何か話している様子だ。玄関先まで夫である幸山市長を見送った市長夫人と会話していると見るのが自然であろう。このI係長の厚顔振りを見てほしい。職務柄とは云え、不倫中の男(幸山市長)の妻と何喰わぬ顔をして笑顔で話を交しているのである。尤も`夫を寝取った悪い女aとして、良心の呵責の余り幸山市長が乗り込むのを待って助手席に滑り込む訳にもいかないであろう。




  この時期に二人が不倫中と断じたのは凡人の筆者が熊本市に情報開示を行った資料からの推察である。別欄でも書いているが、I係長を始めて一泊二日の出張に随行させたのが平成十五年七月、以降I係長を配転するまでの五年間、日帰りを含め二十七回東京方面に随行している。この回数は筆者が情報開示請求の際「東京方面の出張日」と請求した結果開示された数字であり、別の資料では「四十七回随行、二十八回宿泊」となっている。

  掲載写真の日、即ち平成十六年二月四日の直前、一月二十二日〜二十四日幸山市長はI係長を随行して東京出張をしている。命令書の件名は「本省要望活動、首都圏熊本経済人の集り」出席の為となっている。この頃二人が燃え上っていたと推定したのは、幸山市長が東京出張にI係長とK主事を交互に随行しだしたからである。それまではK主事が二〜三回随行してI係長が一回随行するパターンであった。所が平成十五年十月から十六年十一月頃までI係長とK主事が一回置きに随行しているのである。小紙が幸山市長とI係長のラブホ通いを確認したのが平成二十年三月から。その時の状況から四年前から不倫と断じたのである。


不倫相手は兄の親友の妻
幸山市長に倫理感なし

  小紙が幸山市長が部下の女秘書と不倫関係にある、との情報を入手したのが平成十六、七年頃か。

  その時は複数の女性の名前が挙っていたが、それとなく取材してゆくとI係長に絞られてきた。確証を得たのが平成二十年三月。八月に取材を打切るまで平均月に二回ラブホテルに通った。確証を得たので調査を打切り(報道した後不倫を続けるバカは居ない)「幸山政史市長W不倫」として報道したのが同年十月二十日発行の九、十月合併号である。以後今日まで検証報道を含めて断続的に報道しているが、常に頭の隅にあったのが「市長当選直後の人事異動で何故Iを秘書課に引っ張ったか」であった。

  その疑問については不倫報道の中でも触れており「幸山市長の兄が熊日に勤務していた関係から何らかの繋りがあるのか」と記している。

  その疑問について図らずも幸山市長の周辺から納得の出来る情報が寄せられた。小紙二月号でも少し触れているのでダブる所もあるが、改めて確認しておきたい。と云うのは、I係長の夫が幸山市長の兄の親友であったという点にある。両者は熊日で同職場にあって「かなり親しかった」関係でお互いの家族間で交流があり、幸山市長が県議時代からI係長も面識があった。その頃、二人の間が赤い糸で繋ったかどうかは分らないが、幸山氏は市長当選直後に異動させ身近に置いた。

  当時この情報を得た小紙は「I係長は夫がマスコミに居る為、秘書課への異動を断ったが、幸山市長が強く要請した為応じた」と何とも間の抜けた報道を行ったのである。今から思えばI係長も「快く応じ、その後男女の関係になった」と書くべきであったかもしれない。が、その頃「清潔を売りの幸山市長」と信じていたので異動の裏を読みきれなかった。「あの人(I課長補佐)は強かですよ」と最近耳にして納得。



  小紙三月号で報道した「阿蘇市 光ネットワーク整備業」「発注業者既に決定か」の見出しで報道した同事業の入札が四月二十六日実施された。小紙が入手した情報では「九電工に一括発注」であったが、阿蘇市は「伝送路工区」と「センター工区」に分割して入札を実施。事前情報通り九電工が落札したのは「伝送路工区」で、予定価格一五億六千九四万一千円に対し、落札価格は一四億六千八九五万円であった。落札率九四%。光ネット中枢部の「センター工区」は予定価格一三億七千三二六万円に対し落札価格は一三億二千五二五万円、落札率九六・五%であった。小紙は「本体施工会社と設計会社の間に管理会社を入れなければならないのに予算に計上されていない」と指摘した。慌てた阿蘇市は管理会社も同日指名入札を行い、昨年九月基本設計を落札したニシム電子工業が予定価格一千一八五万円に対し九七六万五千円で落札率九五・八%であった。何れも税込み価格である。阿蘇市が指名した業者は八社、各社の入札価格は下記の通りである(市情報開示)。

阿蘇市・産山村光ネットワーク整備 センター工区 同伝送路工区区
NECネッツエスアイ(株)熊本営業所 一二億八千万円 一四億六千万円
(株)きんでん熊本営業所 辞退 辞退
西日本システム建設(株) 一二億六千九九〇万円 一四億四千九一五万円
西日本電信電話(株)熊本支店 辞退 辞退
(株)九電工九州支店 一二億八千五〇〇万円 一三億九千九〇〇万円
(株)関電工九州支店 一三億円 一四億五千万円
日本コムシス(株)熊本営業所 一二億六千二五〇万円 一四億四千二四〇万円
(株)協和エクシオ九州支店 辞退 一四億六千万円
全て税抜価格
 
  以上となっている。この各社の入札価格、見る人が見れば完全な談合と分る筈である。センター工区で、きんでん、西日本電信電話は実績、実力がありながら何故辞退したのか。端から落札業者が分っているのに真面まともに相手に出来ないという事か。協和は伝送路狙いで辞退と聞いた。
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