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熊本県養鰻漁業協同組合
異例長引く調査に戦々兢々

 本誌は、本年二月号で熊本県と、熊本県養鰻漁業協同組合に長期に亘る会計検査院の調査が行われたと報道した。続く三、四月合併号で補助金事業に関する審査の甘さ、県と村上寅美県議会議長の癒着疑惑について詳報した。その後も続報を予定していたが、村上議長の子息の不慮の死を慮って予定を中断していた。忌も明けたので報道を再開する。
  会計検査院の検査は、本年一月二十一日から五日間に亘って行われた。七名の検査官の内三名(四名は、県内各地の検査対象先を調査)が養鰻関係について、一日目は県庁、二、三日目の両日を掛けてヨーマン、熊本県養鰻漁協、緑川養殖漁業生産組合(木下優喜代表理事)等関係先を調査している。通常は現地調査を終えて帰京、会計検査院で資料の分析、補助金が適切に支出されたか、支出先が提出した事業計画書通りに事業を行ったか判断する。しかし、今回は調査後も「度々水産振興課、団体支援総室、養鰻漁協等に電話による聴き取り、文書の提出等が求められていて調査完了とはなっていない」(関係者談)という。「強い水産業づくり交付金」は農水省が全国水産事業者を支援する目的で各都道府県単位に交付している。総額は十七年度一五二億円、十八年度一七二億円である。補助金を支出するのは各県の担当部署で、熊本県の場合、水産振興課が殆どを握っている。後は水研センター、漁政課が担当窓口である。平成十七年度は二三事業に一億九千万余。十八年度は一〇事業で九千百万余。以上は強い水産業づくり交付金要望事業一覧表(県水産振興課交付)によるものだ。緑川養殖漁業センター建設は、平成十七年度総事業費三億三千八百万余。この内、国の補助金六千六百六十六万円。県から三千万円。十八年度総事業費九千八百万円余、内国の補助金三千万余。県の補助金千三百万円余(各十万単位省略)である。補助金合計一億四千六十七万六千円。県養鰻漁協の組合負担金二億八千八百万余円となるが、この金の出所が分らないのである。


-杜撰 熊本県水産振興課-
三十六年前の組合員名簿で査定

-大半の組合員は現存せず-

 緑川養殖漁業生産組合は平成十八年十二月に設立された。代表理事は村上寅美県議の妻の実弟である。元々はみかん農家で、村上県議と密接な関係を持つ九州建装の非常勤役員も務めている。同組合は、県養鰻漁協が建設した緑川養鰻場の運営を目的に設立された。前にも報道したが、同組合に養殖専従者は一人も居ない。熊本県から養鰻組合として認可を受ける際提出した発起人(後に組合員となった)名簿と、認可申請で発起人達の漁業従事年間日数は百八十日〜二百五十日と記入されている。建設会社、塗装会社の社長ら六人が百八十日漁業に従事するなど先ず不可能だし、網の張り方一つ知らないであろう。この組合認可の杜撰さは二月号に詳報しているので省略する。
  ここで述べたいのは熊本県養鰻漁業協同組合(村上寅美代表理事)への国、県の補助金交付の違法性である。本誌三、四月合併号で報じた様に、補助金を査定、支出決定を行う熊本県水産振興課次長の提発言を覚えている事と思う。「組合員の資格のない者が多く構成している養鰻漁協に補助金を支出したのは問題ではないか県議が代表理事を務めているのが有利に働いたのではないか」の問いに堤は「私共と団体支援室とは関係ない。支援室から上って来た書類を適切と判断したので支出した」と広言した。だが支出対象の養鰻漁協の組合員の把握が県農水部団体支援総室で全く出来ていなかったのである。平成十七、十八年の二年間に亘って熊本県は養鰻漁協に補助金を支出しているので、当然組合の実情を掴んでいるものと思って去る六月六日、熊本県知事に熊本県養鰻漁業協同組合(以下組合と称す)の組合員名簿の開示を申請した。その時、担当者は「平成十七年の名簿はありません。昭和四十八年の設立認可申請書の添付名簿ならあります」と戸惑い顔で云う。「それでいいですから」と申請して開示されたのが下の名簿である。「組合員名簿、昭和47、12、5現在。名簿の左から正准の別。漁業の種類、経従の別。住所、氏名、年齢、出資口数、漁業日数」の欄がある。正准では全員が正、即ち正組合員。漁業の種類では全員養殖業。次の経従の別は自営か従業員かで、全員経。住所は「個人のプライバシーがある」として消除。氏名はそのまま。年齢、出資口数も個人情報として消除。漁業日数は年間従事日数で、これも全員三百日。申請月日は昭和四十七年十二月五日、設立発起人代表川越寅男(村上寅美県議の実兄、昨年死去)である。団体支援総室は、この名簿以降一度も組合員名簿の提出を求めていない事になる。勿論毎年開かれる理事会の写し位は提出させていると思うが、形だけの理事会でどれ程組合の運営、実態が分るのであろうか。因に十九年度理事会は同年六月十一日に開かれた。代表理事村上寅美、理事吉本勢治、園田敏徳、川越誠、川越博明、木下優喜、村上正守、監事中村栄、高木廣幸、議事録作成者村上正守。この内シラスを漁期だけ採捕する吉本氏が養鰻に従事と云えば云えるだけで他の理事は現業に携っていないのである。昭和四十七年十二月付で提出されている名簿(組合員)は百十三人である。この内ランダムに三十数人を選び出して調査を行った。殆どの人は農業に従事していたが、国が米減反政策でうなぎ養殖を推奨、施設への補助金も出た事から転業農家が続出した。従ってこの名簿に記載されている人の大部分は鰻養殖を手掛けていた。しかし養殖技術が乏しく半数以上が二、三年で撤退、元の農業に戻った。又、調査した1/3に当る十人前後の人が死亡していた。三倍すると三十人が死亡だ。県は死者を含めた組合を認定した愚を犯している。