熊本県民新聞 WEB版
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熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

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社会福祉法人桜ヶ丘福祉会乗っ取り
隠された闇を見た

 社会福祉法人桜ヶ丘会創立者の不祥事に端を発した桜ヶ丘福祉会の混乱は、昨年で一段落を迎えた。騒動が終った昨年八月、落水清弘市議と桜ヶ丘寿徳苑を乗っ取った白川の里理事長吉良朋広氏が「兄弟盃」を交している事実が小紙の取材で判明した。ヤクザ社会ならいざ知らず、片や熊本市議会議長まで務めた現職市議であり、片や熊大病院医師を務め、福祉法人理事長の地位に在る人物が、元暴力団組長を立会人として兄弟固めの盃事を行うのは前代未聞であろう。社会的に許される行為ではない。

  小紙七月号で第一報を発した社会福祉法人桜ヶ丘会を巡る有象無象の暗闘は、限りない人間の欲望の深淵を覗くに充分であった。一連の騒動で「黒幕」と呼ばれていた吉良氏の願望は果された。途中から「市議の力」が売りで仲介に乗出した落水市議も安定した高収入が約束される二保育園を支配する体制を整えつつある様だ。この二人の出会いが今回登場する元有力暴力団組長であったA氏である。
  A氏は二十数年前ヤクザ社会から足を洗って正業に就いているが、現役時代から幅広い人脈を持つ事で知られた人である。小紙が取材を進める中で、A氏の存在が大きなウエイトを占めている事が徐々に判明、本号の落水、吉良両氏の兄弟固めの盃に辿り着いたのである。A氏はこの乗っ取り劇の早い時期から、関係者から相談を持掛けられたり、仲介を依頼されるなどしていたが、夫々が目的を達した以後は皆足が遠退いている。そのA氏が落水市議、吉良理事長の「兄弟固めの盃」の立会人になった経緯を語ってくれた。以下はその要旨である。A氏が落水氏等から「お願い事があるのでお食事でも」と誘われたのは昨年八月下旬。指定された午後六時三十分頃、市内の高級料亭に赴くと落水氏等は先に着いており、料亭の奥の部屋にA氏を案内した。料亭側とは話が通じていたらしく、間もなく三方に重ねて置かれた盃と儀式用の飾りのついた徳利を料亭の御上さんが運んで来た。落水氏はA氏に「今から私と吉良先生の兄弟固めの盃を交したいと思いますので媒酌をお願い致します」と伝え、A氏も承諾し、A氏を媒酌人として盃事の儀式が進められたのである。兄弟盃と云うのは双方五分の盃に当り、対等の兄弟分という事になる。極道の社会ではこの他に兄、舎弟盃や親子盃、継承盃などがあるらしい。又、媒酌人の他取持人、見届人等の仕来りに則って盃事が行われる様だ。で、目出度く義兄弟となった落水、吉良両氏に問いたいのは「この時勢に何故極道界で行われる擬似血縁関係を結ぶ兄弟盃を交したか」である。筆者が邪気を回すのは「その奥に桜ヶ丘会の今後に関する密約があるのではないか」である。想像の域を出ないが、落水氏は人を信用しないと云われ(吉良氏も同様らしい)ており、今後の桜ヶ丘福祉会の二保育園の取扱いについて二人の間で何らかの取決めがあるのではないか。態々ヤクザ流の盃事を行ったという事は、それなりの意味があると捉えるのが常識であろう。単に親交を結ぶのであれば「これから兄弟分でいきましょう」と酒席などでよく使われる親睦的表現で済む事である。市議、福祉施設の理事長と云えば社会的にも「有識者」の部類に入るのではないか。その二人が、元とは云え暴力団組長を媒酌人として兄弟盃の儀式を執り行った行為は糾弾されて当然であろう。両氏は直に職を辞する様進言する。


落水清弘理事小紙報道を中止させよと圧力
藤院氏の妻理由なく解雇

 落水氏は桜ヶ丘福祉会の理事長時代、週一回の出勤で月額百万円の報酬を得、その報酬をそっくり福祉会に寄付していた。その事が「公選法に抵触する恐れあり」として熊日が報道、その後落水氏は理事長を下り、妻を後任に据えたが、間もなく妻は理事長を辞任し白川の里の園長に就任した。後任理事長には落水氏の姉婿一瀬英行氏が就任して現在に及んでいる。吉良朋広氏が寿徳苑を獲得した為、現在の桜ヶ丘会は植木に在る桜ヶ丘保育園と、世安町の第二桜ヶ丘保育園の運営を行っている。小紙が七月号で桜ヶ丘問題を報道しだして間もなく、落水氏が第二桜ヶ丘保育園に勤務している藤院氏の身内の人達に「県民新聞が書かない様にしろ」と圧力を掛け始めたという。
  同園には創立者の藤院氏の娘や二男幸寿氏らが勤めていたが、トラブルが起きて間もなく幸寿氏は園長を退任、後任の園長に幸寿氏の姉が就いた。又、幸寿氏の妻も事務職で勤務していたが、先頃一ヶ月の解雇事前通告の後、嘱託として再雇用の条件を提示された。妻は一ヶ月後に同園を退職したが、同園に詳しい人物は「あれは落水理事の復讐と思います、よく『県民新聞に書かせるなと云われて困っている。私は全く県民新聞を知らないのに無理ばかり云われる』と当人が話していたのを何度か聴きました」と話す。
  筆者は藤院幸寿氏、東氏を始め、関係者に取材はしたが、藤院氏の姉や妻には全く接触した事はない。云い掛りもいい所ではないか。落水氏は周囲に「事実無根だから書かれても何ともない」と強弁する傍で、この様に陰湿な圧力を掛けていたのである。




 民主党が政権獲得後早や二ヶ月が過ぎた。そろそろ鳩山由紀夫首相が目指す政策の輪郭位は見えて来てもよさそうだが、一向に視界が開けない。「友愛」「東アジア共同体構想」を打ち上げる一方で、日米安保の在り方を批判「対等の立場で外交展開」を掲げた。又、鳩山首相は、民主圧勝が予想された時期、雑誌「Voice」に「私の政治哲学」と題する論文を発表している。この中で「アメリカの一極支配は終った」「アメリカ発の市場原理主義の是正」「友愛を導く国家目標は東アジア共同体の創造」など米国の顔を逆撫でした。初となる米オバマ大統領の訪日でも、沖縄普天間飛行場移設問題について恰も同意しているかの如き発言をした。が、翌日の記者会見で「オバマ大統領は日米合意が前提と思いたいだろうが、前提なら作業グループを作る必要はない」と否定してみせた。年内に結論を出すとしている岡田外相とはチグハグな発言である事に気付かないのか、無視しているのか。他方で中国、ロシアとは一層の国交を深めようとしているやに見てとれる。友愛外交で臨めば相手国も“友愛”をもって接してくれるとでも思っているのか。前首相の麻生太郎総理も「ボンボン育ち」だが、鳩山首相のボンボン育ち気質とは異質の様である。どちらとも「先見性に欠ける」点では一致している様だが…。加えれば鳩山首相夫人の幸さん。前の旦那を捨てて鳩山氏にくっ付いたのは先見の明があったのか、はたまたカルト的予見でもあったのか。お手々繋いで専用機タラップの乗り降り、訪問先でのでしゃばり姿、見飽きました。




特養ホーム取得 吉良氏勤務医時代からの夢

 これまで小紙が報道してきた社会福祉法人桜ヶ丘福祉会の不明朗な金の動きについて小紙は“乗っ取り劇”と断じた。言葉は悪いが、現状と、これまでの経緯を見ると乗っ取りそのものと云っても間違いはあるまい。これまでは、落水市議の言動を中心に述べて来たが、本号では周囲から“黒幕”と呼ばれている吉良朋広氏に光を当てる。前にも書いたが、吉良氏は大津町真木の出身。熊本大学医学部を卒業後、大学病院に残ってドクターの資格を取得、大学時代から交際していたN氏の長女と結婚し、二児を得ている。
  吉良氏の父は大津町議を務めていたと云われるが、昭和四十六年五月、大津町真木に「社会福祉法人白川園」を設立した。当初は、「白川保育園」だけであったが、後に「緑ヶ丘保育園」を同町美咲野に開設、白川保育園も同町森に移設拡大した。その後経営権を朋広氏に譲り、朋広氏は理事長に就任した。この頃吉良氏の義父N氏は周辺の者に「特養施設を娘婿がほしがっている」と経営不振の特養施設探しをしていた。前記A氏もこの相談を受けた為、一度天草方面の施設を紹介した事がある。しかし施設等が小規模であった為この話は流れた。今回の一連の動きの中でこのA氏は重要な位置にあったのである。A氏は野田毅代議士の義父武夫氏の時代からの後援者である。桜ヶ丘会についてA氏は情報を入手した後N氏に伝えた。N氏はどうしてよいか判らずA氏に相談、A氏から紫垣氏を紹介され、更に紫垣氏が落水氏をN氏に紹介し更に当時の理事長であった十時義七郎氏にも引き合せている。この頃(平成十六年)まで「桜ヶ丘会の理事会は何とか藤院家に引継がせたい」(元理事談)と動いていたと見られる。前にも書いたが、桜ヶ丘会救済案として、ドゥ・ヨネザワと、星峰会が名乗りを挙げていた時期、双方共五億円の同条件であったのを落水氏が星峰会東会長に「六億円必要」と云って来た事から東氏側は手を引く事になる。この頃の理事会は落水氏の独壇場で、各グループを一堂に会させずグループ別に落水氏が根回しをしている。平成十七年八月、桜ヶ丘寿徳苑横に開設された「光明ひかりクリニック」を竃]星が六、五〇〇万円で取得、吉良院長と賃貸契約を結ぶ。落水氏は他の理事に無断で吉良氏と交渉を持つ様になった。本来落水氏は東氏の意向を受けて動いていたのであるが、この時点で東氏を裏切っていたのである。平成十八年五月落水氏が理事長に就任、同時に吉良氏も理事に就任した。この時に一億円の現金が動き反対派の三人の理事が下りた事は前号に詳しい。一億円の原資は吉良氏の義父N氏が作ったのも報道済み。同年十二月寿徳苑園長に吉良朋広氏、桜ヶ丘保育園々長田内新一氏(目下一億二、五〇〇万の損害賠償を落水氏宛提起している東氏の姉婿)、桜ヶ丘第二保育園々長満田あずさ氏(藤院了幸氏長女)が夫々就いた。平成十九年十二月「桜ヶ丘寿徳苑」は「白川の里」に名称変更され、実質経営権を吉良朋広氏が握った。正式登記は平成二十一年六月十九日「社会福祉法人白川園理事長吉良朋広」となり、桜ヶ丘寿徳苑は白川園が吸収したのである。資産価値十数億円「今時一二〇床もの特養ホームを作る事は出来ません」と同業者が語っているが、吉良氏は僅か三億円弱でこの施設を取得したのである。


落水市議ら 小紙報道止めに奔走

 桜ヶ丘福祉会に関する小紙の第一報が報された直後、落水氏はA氏に「県民新聞を何とかしてくれ」と頼み込んだがA氏は筆者の性格、熊本県民新聞の理念を知っている為本気で動かず。その後も数人に「書かない様に頼んでくれ」と依頼したが、何れも前記小紙の在り方を知っている為アドバイス程度に終っている。勿論目下係争中の為、落水氏の代理人弁護士にも「何とか出来ないか(名誉毀損等で)」と相談したらしいが「この記事では無理だ」と云われたらしい。目下、元理事らに「何とかしてくれ」と頼み込んでいるという情報もある。
  小紙が報道をやめるのは簡単、金さえ積んでくれれば。は嘘。不正な工作を行って分割した寿徳苑を元に戻し、第三者を理事会に入れ健全な型で再建策を講じればよい事である。他人の懐を利用して福祉法人を乗っ取ろう(としか思えない)とする根情が腐っている。


吉良氏小紙取材要請
義父を通して文書で回答

 小紙は、桜ヶ丘福祉会の報道過程で吉良朋広氏への取材が重要と位置付け、八月下旬義父のN氏を通して取材を申入れた。N氏は二つ返事でOKし「明日にでもお宅の事務所に連れて行きます」と云ったので「こちらが用件があるのに来て頂くのは失礼になりますので時間を指定して頂ければこちら(N氏宅)に伺います」と云って別れたのである。翌日N氏から電話があり「今白川の里でインフルエンザが流行っていて時間がとれないので後日連絡します」と連絡を頂いた。数日待っても連絡はなし。N氏に電話をかけると「文書を預っている」との事であったので取りに行った。その文書が後述している様に当方を舐めきった回答文であった。文書は横書き。「桜ヶ丘福祉会のこれまでの経緯について」と題し「桜ヶ丘福祉会は昭和41年、藤院了幸氏が設立した社会福祉法人で、傘下に 特別養護老人ホーム桜ヶ丘寿徳苑(定員一二〇名熊本市小山町) 保育所桜ヶ丘保育園(定員90名植木町) 保育所第二桜ヶ丘保育園(定員一二〇名熊本市世安町)の三施設を運営している。平成十五年度の県の指導監査において、三号線植木バイパスの整備事業に伴う桜ヶ丘保育園の移転用地取得で不正支出を指摘される。その後の調査で、桜ヶ丘寿徳苑の運営費不正流用等も指摘され、県の指導の下、平成十六年三月藤院了幸、藤院行子夫妻が桜ヶ丘福祉会理事会より解任される。平成十六年三月から最古参理事であった十時義七郎氏が理事長となり問題解決にあたる。平成十七年八月望星(東三起夫会長)が藤院了幸氏所有のクリニック土地建物を六、五〇〇万円で買収。クリニックは望星と賃貸契約を結ぶ(52万円/月)。平成十八年五月落水清弘氏が理事長となり、法人再建することとなる。この時旧理事がすべて退任し、吉良朋広他が理事に就任する。平成十八年十二月各施設の施設長交代。桜ヶ丘寿徳苑園長吉良朋広 桜ヶ丘保育園々長田内新一 第二桜ヶ丘保育園々長満田あずさ(藤院氏長女)平成十九年三月考え方の違いから同一法人で一緒にやっていくことは困難と判断。それぞれの施設が独立的に運営していくこととし、契約書を作成することにしたが、東氏側が弁護士の仲介を拒否。また法人の分割を主張された為、県との交渉を開始する。平成十九年十月望星より法人分割が出来なかったので、クリニックの賃貸借を延長しないと通告される。一億円で買収するように提示される。平成十九年十一月望星によりクリニックがバリケード封鎖される。移転を考える職員、入所者の動揺大きく八、〇〇〇万円で買収合意。この時望星及び東会長は今後一切桜ヶ丘福祉会、光明クリニックに関与しないと確約するが、その後も嫌がらせや妨害行為が続いている。」以上A4用紙一枚。二枚目は「今後についての私見」と題し、入所者の重度化に伴う医療問題を説明「桜ヶ丘寿徳苑は、医療機関併設で常勤医師が二人いるという特長を生かし、以下略」。厚労省が各都道府県に「社会福祉法人経営支援協議会」をつくり、事業譲渡による大規模化を推進するとしている。自分のやり方はこれに一致していると強弁し、ご丁寧にも日経の切抜き記事まで添付している。自分に不利な事は一切書かず、表層のみをなぞったが如きこの回答文と、小紙既報の記事と読み比べて頂くと、吉良氏の虚像が浮び上ってくると思う。
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