熊本県民新聞 WEB版
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■ 発 行 所 ■
〒861-8034
熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

電話:096-234-8890
FAX:096-234-9883


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リンガーハット納入品
群馬嬬恋産を加工
天候不良で波野産不足
 JA熊本中央会(園田俊宏会長)の事業疑惑を追及している小紙に「JA阿蘇が波野産キャベツの作柄不良で納品不足となり、群馬産キャベツを偽装して納入している」と情報が寄せられた。取材してみると昨年10月~11月頃にかけてJA阿蘇波野選果場に群馬、嬬恋産キャベツが搬入されている事が判明した。キャベツは10屯車で搬入される。1箱10キロ入ダンボール箱には嬬恋農協の名入りであった所から「偽装間違いなし」と追跡調査を行った。

 小紙が入手した情報は「長崎チャンポンで有名なリンガーハットと今期200屯の納入契約を結んだが、夏の長雨と、作付け農家減から波野産が不足した。不足分を嬬恋から購入し波野産として出荷している」というものであった。JA阿蘇組合長に取材すると「今春組合長に就任したばかりで自分は何も分らない。後から担当課長に聞いて回答する」であった。その後小社に電話があり「確かに嬬恋産を扱っていたが、相手には嬬恋産だと云って納入しているので偽装には当らない」であった。小紙は別の筋から「リンガーハットに週2回(1回3屯)納入契約をしており、納入出来ない時は30万円の違約金が発生する。群馬から引いて納めると損失が少なく済む」との情報も得ていたので、この件も質すと「リンガーハットと直接取引きはなく、間に入っているC農産に納入している」という事であった。従ってキャベツ取引き契約はJA阿蘇とC農産の間で結ばれていると思われる(その後双方を取材した結果「違約金」の契約はないと否定)。JA阿蘇に限らずキャベツの販売先は一般の青果市場向けと加工業者向けに分けられる。市場向けは10キロ入ダンボールケースに外側の葉がついたまま納入する。しかし、加工先向けは、処理の手間を省く為外側の葉2枚を落し、プラスチックケース(10キロ入)で納入されるのである。その作業を目撃した農家が「産地を偽装している」と思ったとしても仕方がなかろう。JA阿蘇のキャベツ担当はS営農課長だが、今年に入って何度も電話をかけるが外出ばかりで、やっと3月に連絡をとる事が出来たのである。



リンガー本社
スポットは産地表示せず
 小紙が「産地偽装」の情報を得たのが昨秋11月頃。その頃波野産はなく、嬬恋産が納入されていた時だが、熊本市内の長崎ちゃんぽん店を回ったが、キャベツの産地表示は竹田(大分)波野等4産地の表示があるだけであった。明朗表示を謳うリンガーハットグループに聞くと「1カ月毎に産地表示を書き直している」との事であったが、その後も表示が変ることはなかった。そこで本社購買責任者に、電話取材を行った。

 Mなる人物が応対した。小紙と筆者の名を名乗り質問した訳だが「波野産に代わって嬬恋産が納入されているのは知っているが、スポットで入るキャベツの産地について店頭表示を変えることはしない」と話し「仲介業者を入れるより直接お宅が取引きした方が単価が下がると思うが」については「とても手が回らないので出来ない。西日本エリアのキャベツとネギはC農産、その他の食材も各業者に納入してもらっている」と説明「所でお宅は誘導して何を聞きたいのですか」と来た。誘導して目的を達する術を持っていたら筆者はもっと出世していますぜ。

 筆者が聞きたかったのは「産地偽装」の有無を最終消費先であるリンガーハットに確認したかっただけである。これではっきりした事は、長崎ちゃんぽん店でのキャベツ産地表示に群馬産がないということ。JA阿蘇の産地偽装はなかった様だ。(この項続く)



(有)C農産が嬬恋産を仲介
JA阿蘇直接引けない
 JA阿蘇が取引先とする㈲C農産は資本金300万円で平成15年12月1日に設立された。代表取締役はT氏で、取締役はT氏の妻と思われる女性名が書かれているが、この女性取締役は東京都在住の様である。本店は福岡市南区、9階建?賃貸マンションの6階の一室。同マンションは1階が貸店舗で、2階以上が賃貸住宅となっているが、当社以外にも「事業所」として使われている様である。

 応対したのは管理部長のH女史である。当初「熊本県民新聞」を名乗った筆者を用心「自分は何も分からないので社長に聞いてくれ」「アポなしでいきなり訪問するのは失礼ではないか」と拒否反応を示し、ドアの中に入れようとしない。一応社長に連絡すると云って架電してくれたが応答がなく「車を運転しているらしい。又来てくれ」と云われた時社長からだろう、電話がかかって来た。「又来てもらいましょうか」で電話を切ったので追い出されると思ったが「又熊本から来るのは大変だし、こちらが知りたいのはJA阿蘇のキャベツが不足した時嬬恋産を入れているが、その通りか知りたいだけだ」とか云って旨く云い包めることが出来た。

 十数分程話を聞く事が出来たが、その中で「群馬(嬬恋)産のキャベツは今販路を縮小しており、何処でも自由に買う事は出来ない。JA阿蘇にはうちが引いてやっている。うちに加工場がないので波野で加工(外葉2枚落とす)し、うちの名入りのプラ箱でリンガーの佐賀工場に納めてもらっている」と語った。又週30万の違約金を少しでも減らす為の行為かと聞くと「そんな事はない、そんな事をしても運賃だけでも厖大になって引合わない」と違約金について、はっきりと存在しないと否定。「不作に具え3年以上、納入キャベツに2円(1キロか)の積立をしている中から補填する」と語った。



 年内にも予想される衆院選に向けて代議士諸公が浮足立って来た。自民、民主、公明を問わず、目下日の出の勢いにある橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」を取込もうと懸命である。昨年11月大阪府と市を握った橋下氏が次々と打ち出した政策に筆者は共鳴する点が多かった。特に教育改革や外交防衛に関する主張、憲法改正論も大歓迎した。所がうなぎ登りの人気に我を見失ったのか、当初「大阪都構想」でスタートした大阪市政はそっち退けで国政参加に方向転換した。橋下ブームは大阪維新の会旋風を呼び、今や向かう所敵なしである。維新政治塾を立上げ、塾生を募集すれば定員の8倍以上が参集した。400人の塾生で発足の筈が3300余に膨れ上がったのである。この中から次期衆院選に300人立候補させ、200人を当選させると息巻く。

  他方で新党結成を目論む石原都知事と交流、主導権を握る勢いである。殆どの大手メディアはこのブームに乗っかり、提灯記事のオンパレードだ。橋下市長が船中八策と云えば、本来の中味を吟味する事なく持ち上げる。だが冷静に考えると、橋下氏が次々と打ち出す構想に国家の全体像が見えないのである。発表する政策もその日によって変わっていく。国民は橋下氏の、あの童顔から歯切れのよい言葉が発せられ、疑問や反論には瞬時に切り返す頭の回転の速さに魅入られている感が深い。かつての小泉旋風と重なって見えるのは筆者だけではあるまい。新党結成に色気を見せる石原慎太郎氏に希みたい。新党より自民党を率いて二年間だけ首相を務める心意気を持ってほしいと。



 前号に続く。係長はAが失敗した時、昼食をごちそうしていたと熊日「支配の実相」(以降実相と称す)②で記してある。これは②の2段目にAが述べた言葉の裏付けともとれるが、小紙は「『失敗の迷惑料』であったなら、この程度で済まないだろう」と書いた続きである。直近のAの怠惰は、この件が発覚する2カ月前に起きている。

 11年9月、水産センター管内の漁協の理事達と海路口漁協管内の整備について打合せが行われた。漁協側は理事らが出席、水産センター側は係長、技術参事、Aが出席した。係長はAに「会議録はお前が作れ、メモをきちんとしておけよ」と伝えて会議に臨んだ。その十数日後、係長がAに会議録は出来たか聞いたら「もう少しです」と云ったのでその事を参事に伝え「早く出させるように」と指示した。その後、参事が数回Aに催促したものの「もう少しです」と云い続け、結局会議録の提出がないまま、同11月9日のAの"告発"を迎えたのである。この9日という日も「Aが狙っていたのではないかと思う」と関係者は語っている。その日係長、参事は出張で職場を留守にしていた。又、担当のY補佐も年休をとっていたのである。職場にはAの"告発"に反論出来る人物は居なかった。本来ならAと祖父が"告発文"を持って抗議に来たのであれば、前記3人に事実関係を確かめた上で本庁農水商工局に上げるのが筋である。しかしS所長は気弱で管理者能力に欠けていた(関係者談)ので「中味が真実かどうか」の確認もしないまま、うろたえて本庁関係機関に上げてしまった。その為、Aの云い分が先行してしまった感が強い。次にAが犯した規則違反。これまでAは3回程「外部持出し禁止」文書である水産センター作成の「原義の書類」を持出している。それを知った上司が注意すると「家に帰って勉強するつもりだった」と弁解したが、以後2回の持出しがあった。しかし、この件は本庁に報告される事もなく上司がAを叱っただけで、何の処分もしていない。所謂出先機関の甘さである。ここまで熊日では"無辜"の被害者とされるAの事を記したのは「Aがやや一般と異なった人格の持主」を強調したかったのである。前にも書いたが「Aが健全な精神を持つ人間であったら一連の"事件"は起きなかった」と筆者が見ているからで、Aを貶める意図はない。

 ここから「実相」④に入る。
『若い人にひどいことをした職員を停職で済ますのか』『なんで辞めさせないんだ』。2011年12月26日、パワーハラスメントでの懲戒処分を発表した熊本市には、県内外から抗議や苦情が殺到した。その数は現在まで1700件に上る。処分はパワハラをした技術参事(47)と係長(49)に停職6カ月。管理監督責任を問い所長は減給、所長補佐2人は戒告とした」中略。「熊本市の指針はパワハラに触れていない。そこで人事課は『恐喝』など刑事事件になれば職員を懲戒免職にできる規定に着目した。2人が若手職員から計100万円を超える飲食の提供を受けていたからだ。同課は刑事事件として立件されれば、それを根拠に免職に踏み切るというシナリオを描いた。」県警に相談した同課は、恐喝事件として捜査するには本人の告発が前提と云われ、Aに被害届提出を打診したが、一旦同意したAが届出の前日になって「『やっぱりそこまでしたくない』と云ってきた。『先輩を最後まで追い詰めたくないという、優しい性格も関係していると思う』と同課。当初のシナリオを断念した」とあるが、この記事も大変疑問である。関係者によると「確かに県警(南署)に相談に行ったが、事案を説明した所『恐喝罪に問うのは難しい』と問題にされなかった」というのが真相のようである。「恐喝罪のシナリオもなかった」と聞く。



パワハラ上司とAの関係
 09年4月、厳しい関門を突破してAは熊本市技術職員として採用された。配属されたのは農水商工局の出先である「熊本市水産振興センター」であった。同センターは「水産技術の職員がほしい」と要請していたが、来たのは熊大土木科卒のAであった。最初の印象を「にこにこして『よろしくお願いします』と挨拶したAさんは、やや小肥りの明るそうな人という印象でした」と語る。熊大では野球部に居たという事で、職場では「歓迎」の雰囲気で沸いたという。しかし、半年が経ったその年の秋頃からAに対する評価が変わり始めた。

 「調子はいいが云う事とする事が違う」「約束を守らない」「よく女性の話を自慢気に話す」「助平根性丸出し」「仕事が出来ないというより覚えようとしない」「言い訳が多く、嘘もつく」等々であった。その頃Aは市役所に同期で入ったB嬢と交際が始まっていた(以後二年程交際は続いたが問題発覚前にB嬢がAから去った。この間AはB嬢の家族と2、3回会って食事。B嬢も2回程Aの家族と会ったらしい。近隣では「一回だけ連れて来た、あの家庭を見たら二度と来ない筈」といやに正確に知っていた。B嬢がAを嫌ったのは(ケチで会う度にセックスを要求するから、とはB嬢の知人)。

  この頃から係長、参事らも、Aの性格が「一寸おかしい」と感じ始めたという。当初「熊大卒の学士さん」と尊敬していたかどうかは分からないが、一番の難点は、Aが今日教えた事を翌日には忘れている事であったという。以降は前にも述べた通り、Aを叱り、正座させたりで(この正座を人事課は体罰と解し、棒切れで叩いた事と併せて処分の対象とした)仕事を覚えさせようとした。一方で参事には進学(高校か)の子供が居て、Aと自宅も近い所から「週1回子供の勉強を見てくれ」となったらしい。仕事を終えたAは参事宅に寄り子供を教えた(結果的に子供の成績アップに繋がらなかったので一年程で中断)ので、夕食は当然参事方で済ます。その頃Aは職場で「夕べ○○参事さん方で夕食をご馳走になった。あんな美味しいのは初めてだ」と嬉しそうに話しているのを多くの先輩が聞いている。参事宅周辺で、参事の妻と交流のある主婦の1人は「まるで自分の子供の様に可愛がっていましたよ。時には家族と連れ立って浜線に在る回転寿しを食べに行ったとも聞きました」と参事とAの親密さを語る。B嬢も同行した事があるらしく近所の人の目に止まっている。次は係長氏とA。係長は日頃口数が少ないが、飲むと饒舌になるタイプで、酒好きな為、参事抜きでAらと飲みに行く事がままあった。多くはAが「飲みに行きましょう」と誘ったが、支払いは係長がしていたらしい。2、3回に1回は自分も払ったと云っているらしいが。その帰りにAが焼鳥を買って参事宅に寄り「一緒に食べましょう。家に持って帰ると祖父に叱られますから」と云って家族と数本ずつ食べた(2、3回)のが実情である。焼鳥の強要はなかったと断定出来る(証人います)。



上司の処分「免職断念」は当然
停職6カ月でも重過ぎる
 人事課を中心に関係者はAと係長、参事から数回に亘って事情聴取を行っている。前にも書いたが、3人の主張は大きく食い違っていたのであるが、担当者らは3人を一堂に集めて「食い違い」を是正する措置をとらなかった。これは人を処罰する者として大きな不手際と云わざるを得ない。不法行為等が明確な場合は、担当部署と市長決裁でいいだろうが、本案件の場合、夫々の主張が異なっているのである。少なくとも市顧問弁護士を含む「調査委員会」を設置し、真相解明後に処分を出すべきではなかったか。山口殿、熊本市は当初から「恐喝罪は無理」と判断していたのをご存じなかったのですか。顧問弁護士達も「懲戒解雇は無理」と判断していたようですよ。「実相④」3段「それでも市独自の判断で免職にする道も残されていた。そこで同課は市の顧問弁護士3人に、それぞれ見解を求めた。3弁護士とも今回の事例を『かなり悪質』とみる認識では一致したものの、『(恐喝や強要という)刑事事件として取り上げられない場合、加害者本人が認めなかったり、証拠がない時は、免職を科すには不安がある』『加害者に過去の懲戒処分がなければ、今回だけでの免職は難しい』などとした」。「同課は『2人を免職にした場合、不服申し立てとその後の処分取り消し訴訟で負けてしまう恐れがある。無理な処分で市が敗訴すれば、2人はシロとなってしまう。それでは元も子もない』と判断。免職をあきらめ、『悪質なパワハラ』として停職で最も重い6カ月を選択する。だが懲戒処分指針より上位の地方公務員法は『信用失墜行為の禁止』を規定している。自治体の人事委員会事務に詳しい関係者の1人は『今回は重大な信用失墜行為。これを適用して懲戒免職もできたはずだ』とみる。以下略」

 筆者は何故山口氏が2人の処分を「免職に」と拘る意図が全く読めない。山口氏がAと係長、参事、水産センター職員らに取材し、調査した結果「2人は悪わる」と判断して厳罰を望むのであれば理解出来る。市人事課発表資料と(某係長の話を中心に)記事を構成するのは如何なものか。前にも書いたが、山口氏は「たかった」とされる2人の上司には全く取材を行わずこの記事を書いたのである。加えて2人の上司にも取材はしているが"本音"は聞き出しきれてはいない。水産センター関係者も「職員に接触を図った形跡はあるが、熊日の第一報から不快だったので取材に応じた職員は居ない筈」と語る。傍線部分を市の関係者は「始めから考慮していなかった」と否定。山口氏が書く所の地公法(傍線部分)を何故幸山市長と秘書係長のW不倫を小紙が報道した時に追及しなかったのか。まさか「あの報道はガセ」と思っている訳ではないだろう。報道を読んだ殆どの市民が「事実」と認めているんだから。係長級2人のパワハラと、市のトップである幸山政史市長と池田由加利係長(当時)のW不倫のどちらが地公法の「重大な信用失墜行為」であるかは自明であろう。

 「市人事課は『そこも意識したが、処分の乱用はできない。恐喝、強要の認定ができなかったことが最大の原因だ』と繰り返す。」と書くが、双方から事情聴取し、水産センター職員からの聴取で関係者は「犯罪は成立しない」と早い段階で判断していた。係長らに「6カ月間停職」を命じたのも、熊日を始めマスメディアの「誇大報道とそれを読んだ読者らの反響の大きさを考慮した上での処分であった」と、市幹部も認めているのである。割を食った2人だがそれは身から出た錆でもある。



 本紙平成21年11月号と翌月の2回に亘ってこの面で報道した「老々介護悲惨」「精神病院に放り込み」は、口煩い夫を、妻とその二男が精神病院に強制入院させていた出来事を報道した。発端はN氏本人からの電話であった。「私は正常であるのに睡眠薬を飲まされ、眠っている間に精神科病院に入院させられた」という内容であった。病院側もN氏が正常な精神状態にあると知りながら入院させていたのは間違いない。金儲け主義の典型だ。結果は筆者が病院側と交渉して退院させ、老人介護施設に入所を見届けてこの一件は落着した。

 そのN氏から2年余を経た去る3月初旬電話があり会いたいという。この手の話は余り乗り気になれないので一旦は「他に誰か相談する人が居るでしょう」と断ったが「いや、是非先生に来てほしいんです」と云う。先生と云われりゃ悪い気はしない(冗談)ので出掛けた。N氏は介護施設の個室に単身で入居。そこで話を聞いた。

 以前妻と共に自分を精神病院に入れた息子に昨秋、預金通帳とキャッシュカード、印鑑を預けた所、自分の所に寄りつかなくなった。施設の支払いだけは強く云ったので自動引落しの手続きに応じたが、いくら来るように云っても寄りつかない。強く云うと「ほしけりゃ自分で取りに来い」と云って相手にされないので、手持ちの現金がなくなった。病院の薬代など施設に払ってもらっている状態だという。N氏は筆者に、息子が営業している店と電話番号を云うと「預金通帳などを取り戻してほしい」と訴える。これに似た話はよく聞くが、まさか自分が係わるとは思わなかった。筆者はバカ息子に怒りを覚え即座に承諾した。聞けば、息子は市内の繁華街で飲食業を営んでいるが経営状態はよくないらしい。N氏は、息子の自宅を知らずこの店に行くしかないが、営業は夕方からである。筆者が行って「N氏の代理で来た、通帳、キャッシュカードを寄越せ」と云っても「はい」とすぐ渡す事はないだろう。頭の働く奴なら「明日持って来ますから」とか云って、翌日預金を下ろして渡されたのでは意味がない。そこで考えたのが新しい印鑑を作って市役所で登録印の変更を行い、銀行印を改印し新通帳とキャッシュカードの再交付を受ける事であった。

 市役所で改印届用紙と委任状用紙を貰うと共に、行きつけの印章店に実印の作成を依頼した。印鑑は3日後に出来ると云ったので、その間N氏に改印届と委任状を直筆で書いて貰った。住所は、住民登録している住所と、現在入居している現住所を書いてもらった。この書類に出来上がったN氏印を押し、筆者の実印を押し熊本市役所の印鑑登録の窓口に行ったのである。



市役所窓口係の臨機応変
 窓口で順番票をとり待つこと20分ほど。40代の女子正職員が担当。「ご本人さんですね」と問われたので「代理です」と答えると「身分証となる何かありますか」と云うので免許証を提出、コピーされて返却。事務処理が終わって「登録交付書はご自宅宛に送ります」と云うので「本人は施設に入所、妻も他の病院に入院中で家には誰も居ませんので、本人の入所先に送って貰えませんか」「原則ご自宅に送るようになっています」と云う。「自宅宛に送っても受取る人は居ません、その時はどうなりますか」と畳み掛けると担当者は一寸考えた後「そうですねえ、原則自宅に送らなければいけませんが、考えてみましょう、本人さんに連絡出来ますか」と云うので、施設名と電話番号を教える。「一寸待って下さいね」と云って席を立った。N氏は自分で起き上がれないので、施設は電話を受けるとN氏に知らせ、介護士が体を起こして車椅子に移して電話口まで来る事になる。多分10分は要するだろう、と思っていると10数分経って担当者が戻って来た。「お待たせしました」と明るく云って「本人確認が出来ましたので現住所に送ります。今日受付け分は明日発送しますので2、3日後には着くと思います」と云って控えと登録証の代理受取りに必要な書類を渡してくれた。この柔軟な対応、恐らく担当職員の個性もあっての事と思うが、他の職員も見習ってほしいものだ。次は肥後銀行水道町支店。



クレーマー扱いされた
肥後銀行水道町支店
 印鑑登録が出来た後、すぐ同支店を訪れ、通帳とキャッシュカードの再発行を申込む。「本人記入が必要」として申込書、代理人依頼書等を渡されたので翌日N氏に会って記入して貰う。「ここに住所、ここに名前」と指して教えないと分からない状態。15分程かかって出来た書類を持って肥銀水道町支店に行く。窓口嬢(ミセスか)は筆者が誰か充分知っている奴。一通り書類を確認して受理まではうまくいった。所が「カードはご自宅以外に送付出来ません」の一点張りだ。「誰も居ない所に送っても無駄ではないか、現在住んでいる施設に何故送れないのか」と少し強く云う。「一寸お待ち下さい」と云って席を立ったので上司に了解を求めに行ったものと勝手に思い込んで待っていると、何と連れて来たのは一般行員と違う紺の上下のスーツを着た女である。

 その女は「どうされたのですか」と言葉は丁寧だが面は突っ張ってにこりともしない。「本人は一銭も手持ちがなく急いでいるし、居ないと分かっている所に送っても返ってくるだけではないか」とキャンキャン吠えてみたが効果なし。行内で「営業」と呼ばれるクレーマー担当のその女は「こちらではどうも仕様がありません。カード会社が送るのですから」と云うので「へえ、カード会社はカードを自動で作り宛先も自動で書くのか」と云うと、何と「はい」と答えたのである。完全に筆者をクレーマー扱いしている。そして「何度も云いますように一旦ご自宅に送り、戻ってきてからご本人様の居住先に送る様になっていますから」と冷たい答えが返るだけである。これ以上相手にしていても埒が明かないと、やっと悟った私は同支店を後にした。

 N氏の口座は他の支店にあるが、筆者の事務所が近く、肥銀水道町支店は数10年の取引きがある為出掛けただけである。行員の多くは筆者を知っている筈、特に窓口の女は顔を合わせると遠くからでも頭を下げていた。筆者がクレーム(と云えるかどうか)をつけたのはカードの送付先だけである。現在住んでいる所に送るのが常識ではないか。一旦自宅(銀行に届けている)に送り、返送されたら現住所に送る様に規則で決まっていると一歩も引かず、少し強く云うとクレーマー担当者を連れてくる肥後銀行の体質をどう解釈すればいいのか。何故窓口女はこちらが納得するまで説得しようとせず、すぐ苦情担当の女を呼びに行ったのか。「窓口の応対態度が悪い」とか、5千円の預金しかないのに「6千円寄越せ」と云っているのではない。カードの送付先で現実的な要求をしただけではないか。接客教育をやり直した方がいいと思うよ火の国銀行さん。

 翌日、N氏が口座を開いている支店に赴いた。「初めて窓口に提出する」振りをして書類を出す。「この用紙どこで貰いましたか。あ、今朝持っていかれた方ですね」というので「はい」と云えば良かったが、根が正直なもんで「昨日水道町支店で貰ったものです」と云う。「そうですか」と云いながらもパソコンに向かったが「ご本人さんですね」と云われ、「いや代理人です」と云うと、窓口嬢は「一寸お待ち下さい」と云って奥の古株らしい女性の所に行き、その女性は又奥の男性に話している。そして筆者に「どうぞこちらへ」と云ってカウンター横から奥の応接室に通された。待つことしばし。男性が来て名刺を出す。次長某とあり、筆者も名刺を出した。そこで昨日の経緯を話し「ここに口座を開いているので来た」と云う。それからが大変「貴方が取引している当行の支店は」「担当者は誰か」等々聞かれたので適当に答える。その最中に筆者の携帯が鳴った。出るとこんな事になるだろうと思って「助言を頼もう」と先刻携帯にかけたが出なかった某支店長からである。手短かに事情を話し、携帯を次長氏に渡す。2、3分遣り取りがあって次長氏は電話を切った。その間、古株の行員嬢はあれこれ調べたらしく、次長を呼び出し何か話していたが、2人で戻って来て「電話で本人さんと話してNさんも施設への郵送を希望していますのでそちらの方に送るように致します」と云って現住所の欄を施設の住所に書き替え一件落着。数日後、新しい通帳とカードがN氏の許に届いた。同じ銀行でこの落差は何か。



 小紙が断続的に報道して来た「社会福祉法人 桜ヶ丘寿徳会」乗っ取り事件の主役と目されている落水清弘市議と、同氏を訴えていた社会福祉法人星峰会理事長東三起夫氏の双方が控訴した裁判の判決が下った。福岡高裁木村元昭裁判長の判断は「本件各控訴をいづれも棄却する」であった(右判決文参照)。

 一審に続き落水が貰っていないと主張する社会福祉法人桜ヶ丘福祉会運営の「桜ヶ丘保育園」の売買代金1億2千5百万円の支払いを認めた。実質売買代金であるが、訴訟は「約束不履行による損害賠償」である。これまでも書いて来たが、社会福祉法人の売買は法律によって禁じられているのである。そこで行われるのが寄付名義の資金の遣り取りである。取引きが順調にいった場合、これらの問題が表面化する事はないが、桜ヶ丘福祉会の場合は欲ぼけが利権の奪い合いをした為表面化した。

 福岡高裁は一審熊本地裁判決をほぼ踏襲し、一審原告の東氏側が渡したとされる1億2千5百万円の資金の出所を認定。一審被告の落水氏が準備したとされる資金の出所と使途を「根拠がない」とした一審の判決を支持、控訴棄却を云い渡したのである。判決は1月25日。

 この判決を不服として落水氏側は最高裁に上告したが、同時に「上告受理の申立て」も行った。この「上告受理の申立て」とは、日本における民事訴訟において、上告をすべき裁判所が最高裁である場合に、原判決に判例違反がある、その他の法令の解釈に関する重要な事項を含むことを理由として、最高裁判所に対して上告審として受理することを求める申立てをいう(民事訴訟法3―8条1項)。なお、最高裁判所は上告を受理する場合であっても、申立ての理由中に重要でないと認めるものは、これを排除することができる(同条3項)。なお、刑事訴訟における事件受理の申立(刑事訴訟法406条)も、裁判実務上「上告受理の申立て」と呼ばれることがある。同法は民事訴訟における法律解釈の統一を図る必要がある一方で、最高裁判所の過大な事務負担を軽減すべきと考えられたことから、刑事訴訟における上告受理と類似の制度として、平成10年1月1日施行の民事訴訟の制定により導入された制度である(以上フリー百科事典「ウィキペディア」出典による)。上告受理申立ての事件を受理するかどうかは最高裁の裁量に委ねられており「上告受理申立て」不受理も多く、受理される場合でも高裁の判断が分れている場合は受理、不受理の判断が長期に亘る場合もあり、ある意味、"時間稼ぎ"にも利用される場合もあるらしいが、落水氏が被告の本件の場合、高裁の判断にぶれはない。



上告取り下げる
 二審の上告を行った落水氏だが、福岡高裁判決を不服として上告した分は本年3月26日付で上告を取り下げた。従って今後は前述上告受理の申立てのみを最高裁の判断待ちとなるが、民事に詳しい弁護士によると「多分不受理になるのではないか」という見立てであった。因に落水氏側弁護団は5名、何れも民事裁判のベテラン揃いと云われている。



義理を破り利権に走った
 社会福祉法人桜ヶ丘寿徳苑を巡る"乗っ取り劇"の主役を務めた落水清弘市議は、市議会議長経験のベテラン市議である。元市議の父の跡を継いで花岡地区をメイン地盤として当選して来た。定職はなく、議員の影響力を駆使して細々と利権漁りをして選挙資金を集めていた。そんな落水に儲け話が飛び込んで来た。現在係争中の相手である東三起夫氏である。二人は東海大の先輩後輩の関係もあって、ある一件から急速に接近した。平成2年頃東氏の二女が死亡した際、市営墓地の購入を落水に相談したのである。落水の協力で東氏は市営墓地を入手出来た。

 以後東氏は落水の大スポンサーになり、選挙の都度数千万円の資金提供して来た。又東氏が福祉法人を立上げた際は、認可業務に多大な貢献をした落水に礼金が支払われた。市議の多くが「謎」と噂し合った落水のブランド品購入、度重なる海外旅行の原資は東氏にあったのである。そこに桜ヶ丘福祉会の売買問題が浮上した。前にも書いたが、当初落水は東氏の「パシリ」であった。桜ヶ丘会の経理内容を調べよと、東氏は2千3百万円を渡した。調べた結果「再建可能」として買収を目的に落水を動かしていたが、いつの間にか落水は元市議会の悪、紫垣正良とタッグを組むようになった。以降は小紙が連続して報道した通り落水は東氏を裏切り、元熊大病院医師吉良朋広氏側について桜ヶ丘福祉会の分離分割に成功、特養を吉良氏がとり、2つの幼稚園を落水が入手した。

  その渦中で東氏に第二桜ヶ丘幼稚園を1億2千5百万円で売ると約束した。現金を受取った後、幼稚園の園長に東氏の義兄を就任させたが、僅か1年余で「今後園長職は一年毎に契約を更新する」と約束を反古にした。その為東氏は1億2千5百万円の返還を求めたが、落水は「そんな金は貰っていない」と主張しだした為東氏側が提訴、一、二審とも落水の主張を退け敗訴となったものである。当事者だけの現金の受け渡しであったが、二審とも東氏側の金の流れから推して現金授受があったと認めた。落水側の資金の動きは、他に使われた可能性が考えられるとして不採用となったのである。残るは「上告受理の申立て」受理だけである。
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