熊本県民新聞 WEB版
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〒861-8034
熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

電話:096-234-8890
FAX:096-234-9883


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先輩アナを後輩アナが「いじめ」
フライデー電子版で報道
裏付けなく「たれこみ」流す
 知人が電話で「フライデー電子版に熊本民放局の女子アナのいじめが出ているがどの局か知っているか」と訊いてきた。小社には2、3カ月前に情報が寄せられていたが「女子アナの確執だろう」と放っていたのである。民放の社名を教えた後パソコンを開いてみるとほぼ小社に寄せられた内容と同じ記事が出ていた。他の情報も得ていたので取材に動いた所、フライデーの記事が偏向していると感じたので報道する事にした。両名の実名をイニシャルにしようと思ったが、フライデーに倣ってABとした。

 被害者とされるAは私立高校から県外の大学に進み、KABの入社テストを受けて合格。アナウンサー希望であったが同社の場合総合職として採用するので最初は営業に配属された。1年程経った頃アナの欠員が出たので報道制作局に移り、先輩アナFらのアナを埋めてアナウンサーとなった。加害者とされるBは県立高校から県外大学に進学、同大を卒業後大分放送に入社した。同社でアナウンサーとして勤務していたが2、3年前KABが総合職を募集した際受験して合格した。大分でのアナ経験を買われ、すぐ報道制作局に配属された。同社中堅社員は「Aはアナ歴8年程で年齢もBより上なので先輩に当ります。Bは当社に入社して3年前後でしょうか。アナ歴だけ見るとAが8年近い大先輩になりますが、Bは大分で3年程の経験があるのでそう見劣りはしません。アナとしてはBの方が人気があるようで、夕方の『くまパワ』など2人が交互に出演したりしますので競争心が生じるのかもしれませんね」と語る。

 小社に寄せられた“いじめ”は以下の通り。「BはくまパワのMCで、ある日の公式のインスタライブでAの机を漁り、『やめて』と云うAを無視して『資料が山積み~!、マグカップも2つある~!。食べかけのお菓子が開けっ放しで置いてある…』等を視聴者に見せた」「番組のシミュレーションの際、出演者やスタッフが居る中でAの物真似をして周囲の笑いを誘った」「番組の公式インスタでAと曜日毎にキャスターを担当する男性アナの写真ばかりを上げAが無視されている」「7月20日の『くまパワ』にWANIMAが出演したがAのタグ付けをわざとしなかった様だ」「1年で打ち切りになったからし蓮根の『ヨクバリ』の中でBが『嫌いな人の机の引出しに私の髪の毛を20本切って入れた。怖がれば面白いと思った』と笑いながら発言している」等々である。KABの古参社員にも訊いたが「うちは女子アナが少いのでBが入社後Aが先輩らしく指導したりして2人の仲は良好だった。その頃古参アナのFが2人の上に居たが、Fが東京支社に異動した後、互いの我が出だしたのではないか。端から見てBがAをいじめている感じはないが、Aは自己主張が強く周囲から孤立気味だ。Bも目立ちたがりで、あざとい所も見られる。どっちもどっちといった所ではないか」と冷めた目で2人を評していた。Aは正義感も強いようだが自説に拘わる傾向から周囲から敬遠され気味で、社内外でBの方が好感されている。それに慢心してAを先輩扱いしなくなったのかも。Bはフライデー報道後Aに謝ったが、社の対応を含めAの怒りは治っていないという。因みに同社は喧嘩両成敗で11月1日付でABの両アナを他部門に異動させた。





KAB
綱紀弛緩・パチンコディレクター
夫婦(めおと)幹部が編成牛耳る
 KAB熊本朝日放送の社内が揺れている。先述した女子アナ2人が現場を離れ、あと1人のアナは産休中。加えて“略奪婚”の妻が編成部長で夫が東京支社長といった関係を悪用、二人で思い通りに事を進めているという。例えば夫のS東京支社長が支社で結論出来ない案件を本社に上げてくる。本社ではそうした営業物件を考査検討する訳だが、結果的にNGとなっても妻のW編成部長が通すのである。「これでは考査する意味がない」とは関係者の話。

  本社内でもWは夫の地位を笠に着て、「無理筋の話を通すが同格の部長クラスは見て見ぬ振りをしている」と語る社員も居る。(夫のSは今春執行役員に昇格)。二人に加え不評なのが制作部のDプロデューサーである。Dは副部長クラスで10名前後のリポーターを管理する立場にあるが、大のパチンコ好きで知られている。パチンコ屋通いで社内を留守にする為「レクで集った人達を待たせる事もままある。パチンコで本来の仕事に遅れが出るがそれを残業してやる。残業代もかったり付けていますよ」の声も聞いた。Dのパチンコ通いと不当な残業代も総務部は把握したにも拘わらず、会社は何らの処分も行いきらないのである。その一つには部長との親密さを挙げる社員も居た。

 「Dは何かと権限をかざすので陰では批判するが、面と向って抗議の声が挙がる事はない。Dに睨まれると仕事の邪魔をされたり、リポーターは干されたりする。10年程前に入社した新人がDの扱いに耐えきれず辞めた」とも聞いた。日頃も自分の気に入ったリポーターを多用しており、女子リポーターは2人がよくくまパワに出ているようである。「彼くらいのプロデューサーになると全体を見て人を使わなければいけないが、自分のお気に入りを多用していて公平性がない」など悪評が多い御仁である。KABについては、かつて小紙が常務の息子と共済組合理事長の娘の“交換”人事を報じたが、その時の処分が3カ月の減給で済んだ甘い企業体質が今日の弛みを生んだと云えよう。




 安倍元首相暗殺後、旧統一教会の存在が急浮上した。第一次安保の頃であったと思うが、その頃から「国際勝共連合」の名前を聞くようになった。当時は韓国人文鮮明が創立したなど知る由もなく、過激な学生運動に対抗する愛国者集団と思っていたのである。だが熊本の右翼団体が学生デモ隊と対決しても、勝共連合がそれに加わる事はなかった。筆者も一時興味を持って勝共連合熊本県本部の幹部と会い、当時在った大江の事務所に数回行ったが「この団体、何か他の右翼と違う」と思いだした。理由ははっきりしないが「心を打ち明けない」感じを受けたのである。

 世界統一教会についても、その頃から大学などでは「原理研究会」の名前を使ったり、趣味のクラブを作ったりして純情な学生を引き込んでいると週刊誌が報じだした。これはどの週刊誌(筆者の見た限り)も載せていないが、その頃から統一教会の若い女性会員達が下通のダイエー前でよく街頭募金をする姿を見るようになった。募金理由は台風や水害が発生後「○○水害の被災者救援にご協力下さい」と5、6人で並ぶ事が多かった。

 筆者がその女性達が統一教会会員と何故知ったのかは思い出せないが、日本と云わず世界的な紛争なども利用していた。確か「すずらんの会」をよく名乗っていた様だ。その後霊感商法で被害者が急増した。その統一教会が平成15年8月、統一教会から「世界平和統一家庭連合」名称変更が認証された。時の文科相は下村博文氏だ。それまでの文科相は十数年間名称変更を受理しなかった。という事は文科省の職員が統一教会の本質を知悉していたからであろう。それを覆す事が出来るのはトップ以外には居るまい。下村博文文科省は責任をとって即退任すべきであろう。



 地方の警察署長は名士の一人に数えられているのか各種行事や、祝事があると招待される。署長側にしても地元の有力者との交流は円滑な人間関係を保つ上で必要である。その関係が社交の範囲内であれば潤滑油としての役目を果す事になるが呼ぶ側に“腹に一物”があれば事情は異なる。「接待する事で何かの際は助力を得たい」という人物は多い。これは警察という国家権力を行使する機関であれば避けられない問題であろう。外部の意向に左右されず、正義のみを追求するのであればこれに勝るものはない。だが人間欲もあれば色気もある。権力を利用する者と利用される者が居て社会が構成されている。前置きはこれ位にして本題に入る。

 菊池市民の一人から「某企業のM社長と菊池警察署長の癒着が目に余る」と通報があった。現在の菊池署長は高波進治警視殿、署内での評価は余り高くない。接待側は地元では実力者と認められている人物。このM氏は「歴代署長を取り込んできた。周囲に「『警察問題なら俺に任せとけ』と豪語する程で、月に数回以上夜の街に接待しています」とは市民の声。行き先の店名まで書いてあったが、こちらは不用と思うので書かない。又「着任した時と転任の際は『多額の金一封を渡しています』」ともあったが、金額は確認していない」との事であった。他の経済人にも当ったが、似た様な結論で、M氏が酒席などで自慢する(力を誇示)ので広く人に知られているようだ。

 他方高波警視は剣道の「特練」の出身である。特練に入れたのは山田師範(子息の“いじめ”による自殺で県相手に提訴して勝訴)である。結婚する際も山田氏が仲人を務めた。言わば恩師とも云える間柄だが、剣道部員達に人気のない山田師範から距離を置いた。一方、特練生の多くが支持していたK警部を中心にして自然発生的に結成された「徹志会」に参加している。山田氏はこのK警部を「自分の後釜を狙うライバル」と捉え、平成15年春の異動でK警部を八代署に、K警部の弟子筋に当るM氏とH氏を県北と県南の警察署に飛ばした。M氏とH氏は特練の中でもポイントゲッターと呼ばれる主要な位置にあった。当時の警務部長が剣道で山田氏に“師事”していた関係で異動は意のままであった。が、二人の異動で特練に穴が開き、ポイントゲッターの2人は翌年熊本市に戻されたがK警部はそのままであった。この前後に高波氏は特練生のM、O、I氏らと語って反K警部側に回り「K氏の悪口を云いまくっていた」とは当時の同僚の話だ。因に高波氏が巡査部長から警部補に昇任したのはこのK警部がたまたま入手した警部補昇任テスト用紙が「配られたおかげで機動隊を出る時は係長級だった。」と同僚は語っている。

 その後どうした縁か知らないが県警でいい位置に居たM警部に接近、M警部に可愛がられM警部(令和2年市内署の署長を定年で退職)の後を追うように昇進した。警部時代熊本北警察署総務課長に就任したが、この時の署長は吉長立志氏。人の善い気さくな人柄だった。それに乗じたかどうかは分らないが、昼食時に総務課員らを連れ出して昼食を奢ったり、飲みに誘ったりしていた。セクハラまがいの行為もあったらしく、本人について小紙に内部告発の手紙が届いていたが、春の異動で阿蘇署副署長に“左遷”されたと聞いたので記事にしなかったと、その年の6月号で囲み記事で報じている。左遷だったか知らないが、翌29年3月任警視で本部会計課に戻った。この異動もM警視の“引き”があったとされる。高波氏の人柄について元同僚は「頭がよく上昇志向が強い。上司に取り入るのが上手いが裏切るのも平気、人の悪口をよく云う」と元上司の一人は語る。現職場では「用心棒のつもりか外出の時署員一人を連れていく。保身の為か署員がミスを起さないよう指導が厳しい。菊池のボスから頼まれると事件にもならない小さな案件でも署員を動かし、M氏の要求に応じている」と批判の声が多い様である。



警務部長に泣かされました
今年の警部補昇任面接
 一般企業と異り警察官は昇任試験にパスしない限り昇任はない(特別功労者・犠牲者は別枠)。巡査から巡査部長へ。巡査部長から警部補へ。警部補から警部へと段々と狭き門になっていく。受験資格も大卒と高卒の年齢差を考え、大卒は2年、高卒は4年を過ぎないと次のステップへの受験資格は得られない。警部になると警視への道は遠くなり、試験というより審査の形をとるらしい。大卒2年、高卒4年の受験資格は警部補で丁度年齢的に同一になるように調整されており、警部に昇任する為の資格年に差はなく、学歴に関係なく4年経っていれば受験資格を有する事になる。従って警部補昇任を目指す警官は20歳台から40歳台と人材も多才である。試験は一次がペーパーテストだが、ここで“もたつく”者もかなり居る様だ。何度でも受けられるので毎年受けても構わないが、職場の関係で勉強する時間がとれない者は1、2年空く事もある。温情のある上司に当ると受験準備の時間がとれるよう配慮するらしい。

 このペーパーテストのテキストが何故か外に漏れる事がある。かつて小紙でも報道したが、“県警の実力者”と云われた人物が自分の取巻きに配付した事がある。同時期に受験した一部の巡査部長は「どうせ受けても通らんばい。あいつら通る」と云い合ったが、その通りの人物達が全員パスした。筆者に話した警部補はその1、2年後にパスしている。

 あと一例は本欄で記述している高波氏らである。このペーパーテストを突破すれば二次、三次に受からなくても次回から一次は免除される。二次は逮捕術など実技を含むが問題は最終の面接審査である。これは刑事、警備など各部の参事官クラスが二人一組で三組とキャリアの警務部長と参事官が当る(以上の地位など正確さを欠いている恐れあり)。今年はペーパーテストを突破、又は免除されている60名前後が最終審査に臨んだ。面接が終った後、仲間内で「お前何を訊かれた?」とか「上ってしまって何を訊かれたか覚えていない」など話が弾んだが、その中の数人が「警務部長がマスクをしていた上、言葉がはっきりしなかったので何を云ったか聴きとれなかった」と話す者が多かった。

 部下が受験した某警部も「その事は本人から聞いたが、お前が緊張しとったからだろうと云っておいた」と云っており、聴きとりにくかったのは間違いないようだ。面接では受験生の資質を見極める為、あれこれ質問するが、その質問内容が聴きとれないのは致命的である。「はっきり聴えなかったが、訊き返す訳にもいかず適当に答えていた」という受験生は合格していたが聴きとれず「はあ」とか「はい、はい」と云ったという受験生は不合格であった。4組程の面接官室には一人ずつ入って、終ると次に移る。緊張はするが、本部の参事官クラスに比べてキャリアで県警№2の警務部長は“格別”な存在という。各試験官には、手持ちの点数があるが持点は警務部長は別格、地元の長全員が合格点を出していても警務部長が否の意志を示したらそれで終る。キャリアの存在は地元同志の「なあなあ」体質を監視監督する役目を負っていると解している。が、今年の警部補昇任面接に於ける警務部長については「今少しの心遣いがほしかった」と思う次第である。



北合志警察署
警部殿の御乱行
 北合志警察署の某警部の乱行が署内で噂になっているようだ。小紙に今夏から複数の情報が寄せられている。小紙の場合、県警幹部の不祥事を報道する際、警部以下は余程の悪わる以外軽い情報収集で報道している。本欄がそれに当る。警視以上は責任の重さを考え、確実な裏取りをして報道する方針である。ここでの警部も個人の所有車ナンバーまで添付されていたが、尾行までして確証を掴むまでもないと判断、「署内の噂」として記述する。実名は出さずとも本人の周囲は既に分っている筈と思われるのでここではX警部と呼ぶ(真面目な警部さんには御迷惑をお掛けします)。

 複数の情報を纏めると「大変な女好きであること」が挙げられる。本人には妻子が居るので当然「不倫」になり、監察が知れば「警官として不適切な行為」として罰せられること間違いなしである。現在分っている不倫は「県北の警察勤務の時家庭持ちの女性と深い仲になったが長続きせず1年足らずで別れた」「酒好きで飲み会などでもよく飲むが、酔った勢いで部下の女性の体を触る」「警察学校の教官時代に新人の女性警官と関係を持った」等々を挙げられている。不倫相手の所属先なども具体的に挙げられているが、この程度で止めておく。と云うのは複数の情報の一つがどうも「当事者」からの様であるからである。筆者の推察だが、X警部の前の勤務先で知り合って交際したが「現職場に異動後疎遠になった、今は新しい女性が進行中」で“振られ”た恨みを晴らす為小紙を利用しているのではないかと読めない事もないのだ。この種の“垂れ込み”はままあるが、今回はあと一つを内部告発と見たので報道した。


問題が多い菊池署 「熊本県民新聞」令和2年3月号(243号)



 高級時計ロレックスが異常な値上りを続けている。われわれ庶民には高嶺の花だが、面白い社会現象なので採り上げた。筆者が知人から「ロレックスが店頭から消えてガラ空きになっている」と聞いたのが今年の春頃か。日本ロレックスの熊本の代理店は鶴屋百貨店である。以前は東館3階に在ったが、数年前本館1階南西角に移動した。

 下通りに近い出入口のすぐ横なのでよく通るが、中に入ったことはない。知人の話を確めようと某日買物のついでに寄ってみた。店舗の出入口に男性の店員らしき人物が立っていたので「一寸中を見せてくれ」と云って店内に入ろうとしたが、それを遮る感じで筆者の前に立ったので「一寸だけ」と云って足を入れて奥まで見たが、ウインドー内は空っぽだった。店員氏に「人から『ロレックスに時計がない』と聞いたので見に来たが本当だった」と云って「いつ頃から品切れになったの」と訊くが「さあ?」と云って迷惑顔をした。そこは話術に長けた筆者だ、あれこれ話を振りながら以下の事を聞き出した。

 「品薄になりだしたのは昨年の秋頃からで、今年になって売れ行きが急増した。その頃から“投機目的”で買われだしたので一見のお客様には入店をお断りしている。われわれとしては本当にロレックスを身に着けたい人に売りたいのです」と云う。



投資目的で値上がり
正規店は防御に懸命
 男性にとって腕時計はアクセサリーとして重要な位置を占める。女性にはブローチ・指輪・ネックレスと身を飾る品は豊富だが、男性にはそれがない。で、筆者も腕時計には関心を持っていたので、雑誌などで高級時計の広告を見て「こんな時計(4、5百万)を買うのはどんな人達だろう」と思って想像を膨らませるのが精一杯である。それでもロレックスについては雑誌の中で出るので多少の知識は得ている。10年位前からスポーツタイプGMTマスターが定価の倍位で取引されているとか、サブマリーナーに若者が憧れているとか聞いていた。改めて調べてみると驚くべき現象が起きていた。デイトナ黒スチール正価127万円が400万円。デイトナLN172万円は650万円。サブマリーナー120万円は180万円で業者に買い取られているという。

 前記一例は正規代理店で買って業者に持ち込むだけで数百万円の利益が出る事を示している。「ロレックスは予約が利かないから毎日正規店に通って狙った品があったら買って転売する」と聞いた事があるが、それは今は昔の物語だ。前述した様に投資目的、転売目的と思われる客は店内に入れない様にしたのである。それでも上手く購入に成功した人物の話「金がないので普段は質屋に預けて時々出しては鶴屋のロレックス売場に行っている」と云っていた。2台目を入手したら売り払うらしい。この珍現象、いつまで続くのであろうか。


来客もないロレックス鶴屋店



 下に掲げているのは小紙平成25年11月号3面の物である。大きく載せているので2段目までは読めると思うので3段目をここに記す。

「産の宣伝シールを貼るよう依頼したそうである。シールは透明なビニール地に青色で、㈱明和不動産の大きなロゴの下に所在地などが記してあった。協会側は加盟各社に乗降ドアに貼る様に依頼した。無料の為任意で25社が応じた。(協会員は50~60社)。N係長は『何処が貼っていないか』を調べたらしく、貼っていないタクシー会社に『何故貼らんのか』と圧力をかけた。嫌々受けた某社は、客が乗り降りする反対側のドアに貼った所、N係長はそれを見つけ『何故乗降側に貼らないのか』と強要した。又、新設したタクシー乗り場を利用しないタクシー会社に電話で『何故乗り場に停めないのか、市内から追い出すぞ』と暴言を吐いている。明和不動産には『強制的に貼らせるな』と苦情の電話が寄せられたという。同社の関係者は『うちは数社と思っていたのに後から数百台に貼らせたと聞いた上司が驚いていました』と話す。この情報を某新聞社の記者もキャッチして動いた様だ。北署関係者は『何処の新聞社か知らないがN係長が大声で怒鳴って喧嘩しているのを見ました』と証言する。N係長は着任してやがて9年、一部署に長く居るとこうなる。これらを黙認した上司は別の機会に。」で終っている。

 ここで筆者は大きなミスをやらかした。N係長の担当部署を間違えたのである。しかもその係長もイニシャルはNでN規制係長で間違いはない。小紙発行後本人から指摘があり、翌月号で謝罪した。ここでいうNは指導係長であった。筆者はNを以前から知っていて名刺も貰った筈だが恥かしいミスを行ってしまった。この一件、実は当時の署長(平成24年3月退職)も“グル”であったと後に知る。N指導係長は自己が持つ権力を乱用、市内のタクシー業者から恐れられた存在であったが、小紙報道の翌春の定期異動で郡部の警察署に異動となった。そして定年を迎えたが、定年後の再就職先が何と明和不動産であった。その時に知ったが、不動産会社、解体業者、金融機関、交通関係会社等は日頃から警察とは近い仲だそうだ。


熊本県民新聞 平成25年11月号(199号)



 令和4年7月8日土曜日。心ある日本人はこの日を忘れないであろう。安倍晋三元首相が銃撃されて死亡した日である。歴代首相に比して出色の存在であった。その元首相が宗教絡みの歪んだ精神の持主に、いとも簡単に暗殺されたのである。場所は奈良市の近鉄「大和西大寺」駅前の県道の向い側ガードレールに囲まれたオープンスペースである。以下は筆者がNHKを始めとする民放各社が報道した事件現場の状況から得た情報を基に感じたままを記した。

 先ずはNHK。事件直後から奈良放送局の記者などの解説に加え、事件当時の映像を流し続けた。犯人が捕まり、人物が特定されると撮っていた映像の中に犯人の山上徹也が写り込んでいる場面も放映した。惜しむらくはNHKのカメラは安倍氏を正面側で撮っていてたまたま県道を挟んだ歩道上に居た山上がカメラに写り込んでいた物である。しかもカメラマンが敏感だったのか、肝っ玉が小さかったのか発砲音が響くと同時にカメラが肩から外れ?地面などの映像に変った。立ち位置も悪かった様だ。その点ある民放(どこか記憶にはないが、事件当日の他のニュースで観た)のは山上の動きをよく捉えていた。録画しなかったので観たままの記憶だが、カメラを近くのビルの2、3階に置いていたらしく、安部氏の全身と地元運動員と思しき人物、警護の私服の警官まで写し込まれていた。その映像ではマイクを持つ安倍元首相の背後の県道を挟んだ歩道に居る山上を捉えていて、山上が歩道上を移動している姿がはっきり見えていた。

 山上は歩行者が県道に出ないように立てられている柵(民家の境にあるのと同じ)中を動いていたが、歩みに緊張感は見られなかった。途中カメラをアップしたのか山上が画面から消え、安倍氏が大きく写った。次の画面は山上が道路上に出て安倍氏側に向っている所であった。すぐ近くがバスの降車口になっているらしく、山上の場所から少し駅側に歩くと柵の切れ目があるので、多分そこからの道路(駅に向うバスやタクシーが通る様だ)に出たのであろう。少し話を戻す。山上が居たのは丁度安倍氏の背後だったり、少し左側(安倍氏から見て)に動いていたが、そこには当然警官(私服の警備課員)が居る場所であった。筆者は当然居るものと思っていたが警官らしい人物は見当らず、一般の市民が立って演説を聞いていた。最初にこの場面を見た時「そこに最低一人の警官が配置されていて当然」と思ったのである。そこから県道の左右を見れば不審者が柵を越えて道路に出たとしてもすぐ見える位置である。

  恐らく奈良県警側は「県道があるので道を横切って安倍氏に近づける筈はない」と考えていたのではないか。この県道は、駅前でもあり近くに横断歩道があるのだろう。又安倍氏から見て左方にも歩行者が県道を横切る信号機があるものと思われる。車の流れをスムーズにする為、両信号はほぼ同時に車道側が赤になる筈で、その間安倍氏が立っているオープンスペースの後側の県道を通る車はない。山上もそうした状況下で安倍氏に近付いていった。そこで映像の画面は変り安倍氏がアップされ安倍氏と後側に立っている人物が映った。次の瞬間大きな発砲音が聞えた。安倍氏の後方に立っていた白の半袖のシャツ姿の男性(2、3人か)と黒いスーツの男性(1人か2人)は一斉に半腰に身を縮めた。ただ1人悠然と立ち音のした方に顔を向けた安倍氏。発砲音でカメラが引いたのか安倍氏の背後から安倍氏に近付く山上の姿が見える。1回目の発砲音の後、山上が4、5歩いた所で2回目の発砲音が聞えた。

 以後映像がどうなったのかは記憶にない。発砲時の山上の記憶もゼロである。筆者がこの場面をはっきりと記憶しているのは1回目の発砲で安倍の周囲の人達が一斉に腰を屈めたこと。2発目は数歩歩いて安倍氏に近付いたのに、その間安倍氏を庇おうとした者が居なかった点に疑問を持ったからである。2発目発砲後山上に飛びかかって路上に押し付けた警官らと、恰もそれを守る様に外向きに立って警護体勢をとっていた警官には笑えた。

 奈良県警、特に現場を所轄する警察署の警備課員の責任は重い。現ではなく“元首相”の、それも1、2時間の警備という事で軽く見ていたのであろう。油断と慢心が生んだ悲劇である。


何故か路上に置かれたままの凶器



過去を参考にする
警備警察のお役所仕事
 奈良県警の安倍元首相の警備の甘さは、事件当日の警備体勢に表われているが、その原因の一つに所轄署員らの“警備慣れ”が挙げられる。というのは安倍晋三元首相は事件当日の10日程前に場所は違うが同じ近鉄大和西大寺駅前で応援演説を行っているのである。当然だがこの時は何事も起きなかった。で、10日後の演説時の警備も、10日前と同じ体制をとっていたのではないか。週刊誌などによれば6月28日の時は「安倍氏の背後に街宣車を置いた」と書かれている。

  これが背後からの襲撃に具そなえたものか、偶然そうなったのか知る由もないが新聞、週刊誌では「今回も県道を封鎖してでもそうすべきであった」と批判している。仮に“警護の為”にやっていたのであれば、今回の“背後ガラ空き”状態は生じなかったのではないか。気象庁がいい例だが、地震にしろ、台風にしろ過去の形態を参考にした予報を出す。熊本地震がいい例だ。警察に限らず官公庁は「過去がこうだったから…」と前例を変えたがらない。

 警察、特に警備警察は前例を踏襲しがちである。各県警は訪れる要人の重要度に応じて警備計画を立てる。現首相であれば百人体勢で臨むが、元首相である今回は数十人規模であったと思う。それで充分であったと思うが、現場の指揮がなっていなかったのではないか。左に掲げたのは小紙平成19年8月号である。安倍首相の安が阿になっているのを校正出来なかったミスはあるが、内容は警備員の間抜けさを書いたものだ。過剰警備(筆者に)を行いながら立ち去った筆者に安心しきっているのである。「安倍氏との距離3米程」は6米であろうか。読めるよう実物大で掲載した。

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