熊本県民新聞 WEB版
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■ 発 行 所 ■
〒861-8034
熊本市東区八反田1丁目14-8

発行者:福島 宏

電話:096-234-8890
FAX:096-234-9883


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地に墜ちた市議会
北口市議標的に集中砲火
他にも居た不当要求市議
 熊本市が市営(畜産業者らが設立した株式会社に委託)食肉センターの廃止に端を発した tZb「他の屠畜場への移転」は市の不手際で迷走し続けた。「最後まで責任を持つ」と云っていた熊本市(農水局)は最終的に行き場を失った3社を残して「事後処理は完了した」として弱小業者を見捨てた。困った業者が北口和皇市議に泣きついた。仲介の一人が栗山重信で“調印式”当日まで「北口先生、北口先生」と持ち上げていたが、調印式が不調に終った途端反旗を翻し、「北口市議に人権侵害された」と市議会に陳情、一連の騒動が勃発した。他方、斉藤市議は市公園課がほぼ決めていた公園用地を破棄させて、自分と兄姉らの共有名義の土地を“強引”に市に買い取らせた。この一件は小紙のスクープで全市議の知る所となったが、「不当要求、高値買い上げ」を追及した市議は居なかった。

 前号は北口和皇市議特集とした。この特集を読めば北口市議の言動が“調印式”までは正しかったと判って頂けたと思う。筆者は「北口議員と親しいから書いた」のではなく、北口議員の行動が正しかったから詳細を報道したのである。取材過程で熊本市側の狡さや自己保身に走る幹部らの姿も見えて来た。加えて北口議員を陥れた栗山重信に強烈な怒りを覚えたのである。栗山については何れ機会があったら書くかもしれないが、それにも値しない男と認識している。本題に入る。

 熊本市議会は何故北口議員の“排除”に熱中したのか。その原因は前号でも触れているが、一部の議員にとって北口議員の存在は「いつ自分の悪が暴かれるか」と恐怖の存在であった。北口議員には或る種の正義感があり、不正義な行為の議員情報があると議会で追及するのである。他の議員の様に「貸しを作っておく」事が出来ないのだ。最近の例だが、小紙が報じた熊本地震直後に「大西市長の家族が2週間程市長室で過ごした一件」、小紙報道を読んだ北口議員は早速次の市議会で大西市長の公私混同を追及、大西市長の謝罪を引出した。同調したのは共産党だけである。幸山市長の「W不倫」報道も議会で追及したのは北口議員と共産党で、他の党会派は寧ろ「幸山市長を庇った」のである。幸山問題を「議会で質問する」と知った市側は、当時の副市長が北口議員の自宅に深夜訪ね「質問をしないでくれ」と泣きついた事実がある。暴言問題後、髙田副市長が「もっと私達が強く出るべきであった」など御託を並べているが、髙田如きが歯の立つ相手ではなかろう。北口議員の方が正論だからである。北口議員が髙田副市長の妻の問題で同情、何かと気配りしていた恩は忘れてしまったのか。で、斉藤先生の“土地売り付け”問題。

 書けば長くなるので、当時報道した25年1月20日号1、2面と、22年5月20日号3面を読んで頂きたい。「暴言による調印式妨害」と北口議員が組合長を務める熊本市漁業協同組合に市が委託した事業費の“不正”問題を併せたとしても、斉藤聰市議が自己所有地を強引に市に買い上げさせた上、隣地より高値を付けさせた案件とどちらが悪質か、常識人なら説明不要で理解出来るだろう。自己所有地だけでは熊本市の公園設置要件を満たさない為、市道を跨いだ隣地を取り込んでやっと基準の2500㎡を満たしたのである。この間、公園課、用地課の職員は難色を示したと云うが、それを押し切ったのが斉藤議員である。この土地売買は、殆どの市議は小紙報道で知ったのである。だが、この不当行為は市議会で追及した議員は皆無であった。劣化著しい市議会である。



不適性支出の責任
多野副市長減給10% 軽い
 別欄で述べた様に、熊本市が外来種駆除で随契で委託した経緯について多野副市長は「詳細まで知らなかった」と特別委員会で述べているが、組合長である北口議員と最終的な“詰め”が出来るのは当時農水商工局長であった多野氏以外に居ない。江津湖に棲みついた外来魚を駆除するには水中で電気を流す特別仕様の船が必要で「市と相談しながら進めているが、外来魚の駆除は難しいとよ」と北口議員が話したのをよく覚えている。その中で「多野局長が、多野局長が…」と何度も名前を出していたのでかなりの遣り取りが多野局長との間で行われたのは間違いない。

  北口議員の「働きかけ」を問題にする輩が居るが、公的な湖の事業で市に補助金や、助成金を求めるのは当然ではないか。その辺は当時、市と北口組合長の間で「なあなあ」の話合いがあったと筆者は感じていたが、北口議員の一方的な話を聞いていただけである。こう書いてくると、筆者(小紙)が北口議員を庇っていると誤解する者も居ると思う。誓ってそれはないと断言する。北口和皇個人を弁護する気は毛頭ない。市側の不手際とそれを隠蔽しようとする役人根性、一部議員が北口議員を殊更悪人に仕立て、議会から追放しようと画策したのが許せないのである。加えて当初からの北口報道を行った小紙の正当性を証明したいのである。で、本題。昨年11月29日、大西市長と多野副市長が不適性支出の責任をとるとして大西市長20%減給3カ月、多野副市長10%減給3カ月は軽すぎる。特に多野副市長については「北口議員と共同正犯に当る」との声も聴く。



 本号で斉藤市議の公園用地不当売り付けをスクープした小紙を再掲載した。北口和皇市議の行為と、斉藤聰市議の行為のどちらが悪質かを対比して読者の判断を仰ぎたかったからである。本紙の中でも書いているが、地区住民の要望で町内公園の設置が決り、公園課が動き用地課が土地取得を決めた矢先、突然斉藤市議が自己名義(兄姉と共有)の土地を買えと難題を吹きかけたのである。公園課は「基準に満たない」(2500㎡以上必要)と断ったが「隣地を俺が何とかする」(当時の関係者談)として市道を挟んだ隣地の売買に動いたのである。

 余りの強引さに業を煮やした関係職員が他の職員に不満を打ちまけ、筆者がその情報を掴んでの報道であった。本紙にも書いたが、小紙の報道で市議会議員全員が初めて斉藤議員の土地を市が購入したと知ったのである。そこまで“秘密”が保たれていたという事だ。市議の多くは「道路拡幅とかに掛ったなら仕様がないが、それ以外で議員が自分の土地を市に売るべきではない」と感想を語っている。メディア各社が集まる「市政クラブ」も全く無反応であった。小紙の後追いでもいいではないか、何故斉藤議員の強権発揮と、市の弱腰を追及しなかったのか。時折飲み食いに与っているので書けなかったのか。自己保身と怠慢以外の何物でもない。三島由紀夫ではないが「―今からでも遅くない―」特別委員会を設置、事実を解明願いたい。



 本紙平成22年5月号に見るように、熊本市は「長嶺南2丁目ふれあい公園」用地取得ついて不明朗な動きを見せた。取材した結果は同月号1、3面で報道した通りである。市が用地取得に至るまでの概要を述べる。熊本市公園課は、平成15~16年頃月出校区町内会長らの「長嶺南地区に公園を作ってほしい、公園の一画には集会所を作りたい」旨の陳情を受け検討に入ったと云われる。そして「適地」として見つけたのが長嶺西に居住するIT氏の所有地であった。用地取得は用地課の職務であり、公園課の意向を踏まえて用地取得交渉に入った。IT氏の息子は持病で入院生活を送っており、用地課の話は渡りに舟であった。売買価格も折り合った矢先、市の用地課(公園課とも云っている)職員からIT氏に「町内の人から場所がよくないので他の所に変えてくれ、他を探すので今迄の話はなかった事にしてくれと云われた」として以後IT氏との土地取引は断たれた。面白い事にこの公園用地取得交渉に当初から斉藤聰市議が立ち会っていた事である(斉藤市議から直接聞いた)。

 市の用地取得交渉に市議が同行する事自体異常ではないか。市議は住民代表の筈で、交渉が縺れた場合の中立的仲裁するのであれば理解出来るが、斉藤市議の選挙地盤内であったとしても取得交渉に臨むのは如何なものか。その後公園課と用地課は本紙が報じた斉藤市議と兄弟共有地の取得の内諾?を得た。所が、公園用地の最低面積は2500㎡以上であり、斉藤市議の土地はその半分である。斉藤市議の土地の西側に1250㎡の土地(登記上は畑)が存在した。4m程の市道を跨ぐ形になるが、そこは斉藤市議の意向を慮って市道には目を瞑って所有者のM氏と交渉を行っていた。この土地の名義人はMY氏であるが、同氏は父の死亡で市に売却する年の4月に相続したばかりである。この相続を巡って弟との間で話が結着しないまま20年9月に市に土地を売却した。その為兄弟不仲となったと聞く。この経過について斉藤市議は筆者に「Mさんが仲々承諾しなかったので町内会長達と共に何度も通ってやっと承諾を得た。私は町民の為に動いたのであって疾しい所はない」と語った。それも一つの理屈である。しかし邪気の多い筆者は素直に受容れない。斉藤市議が動いたのはわが身の為と思っている。斉藤市議には4人の兄姉が居る。土地は各人ずつの共有地である。常識として財産の配分として土地売却代金を各人の持分で配分するのが合理的である。加えて公共用地として売却すれば課税されない。若しM氏が土地を手放さなかったら斉藤市議の土地も売れなかった。



用地取得価格不明朗
筆者の情報開示請求 不開示
 斉藤市議(と兄姉4人)の土地は、上掲の本紙の右下の写真の左側、市道を挟んで右側がM氏の土地であった。地目は斉藤氏側が「雑種地」でM氏のは「畑」であるが、公園用地としては特に差がつくものではなかろう。斉藤氏の土地は簡易舗装されて「斉藤駐車場」として使用されていたので営業補償費も支払われている。公園用地としては高い買物として筆者が追及する所以である。筆者が報道するに至った不明朗な用地選定と、取得価格について寄せられた情報は幾つかある。当初から「斉藤市議の圧力で取得先が変更された」という情報に自信があったからこそ実名報道を行ったのである。報道の中で「住民が話していた『斉藤市議が強引に…』は確認出来なかった」と書いたが、この時既に確証はあったのである。だが斉藤氏の粘液質の性格を思うと情報源が判明した場合の事を考慮して暈ぼかした表現とした。

 その情報源の一人から「熊本市はMさんの土地より斉藤議員の土地を高く買っている」と聞いていたので平成22年5月熊本市に「土地取得価格」について情報開示を請求した。同年6月7日熊本市は「文書等開示拒否決定」を通知して来た。そこで7月26日開示拒否について筆者は異議申立てを行った。

 これに対し熊本市は「請求拒否理由説明書」を送って来た。「条例第7条第2号(個人に関する情報)の該当性について」として「本号は、個人に関する情報を原則として、不開示情報にすることを定めたものである。本件開示請求に係る情報を含む文書(本件においては、土地売買契約書)を開示することによって、法務局備付けの登記簿に所有者の住所氏名が登記されていることから、個人の収入に関する情報を識別することができることになるため、条例第7条2号の『個人に関する情報』に該当するものである。また、条例第7条第2号但し書きにより、氏名その他特定の個人が識別され得る情報の部分を除いたとしても、取得価格を開示した場合は、上記同様の方法で、識別可能であるため、全部不開示としたものである。なお、本件開示請求に係る情報を含む文書については、公表を前提としたものではないため、公表したことがなく、情報公開においては、契約の相手方、契約金額を不開示した例があるだけである」と説明している。

 同日付の筆者の異議申立書は以下の通りである。「異議申立ての趣旨及び理由」「趣旨 平成22年6月7日付け、公園発第○○○215号の処分を取り消すとの決定を求める」「理由請求拒否の理由として『法務局備付けの登録簿で所有者の住所氏名が登記されている事で特定される個人の収入・財産に関する情報となるため』とあるが、請求人は既にこれらの情報を取得している。中略。請求の目的は、公金の公正なる支出か否かを判断する為であり、特定の個人の収入財産の所在状況を知る目的としていない。熊本市民として、公金支出の適否を知る権利が存するものとの判断から請求したものである」以上が異議申立ての主旨である。次ページに続く。


熊本市公園課が取得した斉藤市議らの土地(左側)とMさん所有地の土地(右側)に
出来たふれあい公園(全国的にも稀な市道を挟んで出来た公園)



 熊本市は斉藤市議らとMさんの土地取得情報を不開示とした。この処分を不服として筆者は平成22年7月26日付で異議を申立てた(この間の遣り取りは1面に掲載)。これに対し「熊本市情報公開・個人情報保護審議会」(江藤孝会長)は5回の審議を経て、平成23年10月3日、熊本市が非開示とした斉藤市議(5人共有地)とM氏の土地取得価格は「客観的性状から推認し得る一定の範囲内の価格であり、一般人であればおおよその見当をつけることができ、公表することがもともと予定されたもの」として、非開示には該当しないと結論。幸山政史市長にその旨答申した。これを受けて熊本市は同月11日非開示を取消し「実績証明書」(取得価格)を開示した。(左に掲げた明細表参照)単価欄の㎡当り75、800円が斉藤市議他4人の兄姉の持分の地代で、下段の74、400円がM氏の土地代である。その差1、400円は何に由るものか。この点について斉藤市議に聞いた事がある。

 斉藤先生曰く「わたしは売買に一切タッチしていないので、うちの方が高いとは知らなかった。若し高かったのであれば、うちの裏に道が通っているからかな」と宣うた。長年不動産売買に携わっている業者に現地を見てもらったが「あの形状では価格差は付けられないでしょうね、単価も当時としては高いと云えます」と評価した。市の用地購入については、市が設置している審査委員会の審査を経て買収価格は決定される。従ってむちゃな高値買収はない筈であるが、これまで話題に上った不良地買収は相当数に上っている。斉藤市議(とその兄姉)には用地代と別に「営業補償費」が支払われている。駐車場として営業していたので、月間水揚げの1年分?が支払われている。これも「実態に合っていたかは疑わしい」と関係職員の1人は語っていた。しかし情報開示請求は行わなかった。理屈と膏薬はどこへでも付くで、対比する資料がないので諦めたのである。所で、本紙が斉藤總市議の土地、公園用地として市が買収と報道した(1面参照)熊本県民新聞を市議会に配布した時、多くの市議が「えっ、これ本当な、俺達は全く知らなかった」と云ったのには、こちらが驚いた。その中の何人かは「公道拡幅の為なら問題はないが、公園用地として売るのは如何なものか」とか「例え市から頼まれても市議をしている以上売るべきではない」と云った意見が聞かれた。斉藤先生は深く静かに土地を手離していたのである。勿論同僚市議達に「今度俺の土地を市に売る事にしたよ」と公言する義務も務めもないのは当然の理であろう。ただ本紙を読んだ多くの識者が「市議が自分の土地を市に売るのは道義的には慎むべきではないか」との見解を話した。ほぼ同一条件と見られる土地価格が、一市民の土地代より高いと報道する今回の本紙の反響は如何であろうか。ご意見などあればお寄せ願いたい。



差額返還の監査請求
期限誤認の大失敗
 前述の通り情報開示で知った斉藤市議とM氏の土地の差額合計1,739,934円の返還を求めて熊本市監査委員会に熊本市職員(幸山政史)措置請求(住民監査請求)を行った。平成24年9月21日付で監査委員会に提出。監査委員会は様式、内容等を検討の為、これを預りとし、翌10月4日正式受理となった。請求の要旨は「斉藤市議らが共有する土地の買収価格は、M氏所有の土地代金に比べm2当り1,400円高い。従って本案の場合安い方の地価に統一すべきである。差額1,736,980円を幸山市長は市に返還するよう求める」というものであった。ここまでは「うまくいった」とほくそ笑んだのである。所が同年10月31日付監査委員会は「熊本市職員措置請求について(通知)」として「本監査請求は却下する」であった。原因は筆者の地方自治法第242条第2項の誤解釈であった。同法では「…当該行為のあった日又は終わった日から1年を経過したときは、これ(監査請求)をすることができない…」としている。

 しかし但し書きに「正当な理由があるときはこの限りでない」とある。熊本市2筆の土地を購入したのは平成20年10月31日であるが、買収価格を筆者が知ったのは市が情報開示した平成23年10月14日である。筆者はこの日を起点として監査請求期限は平成24年10月13日と解していたのである。もともとルーズな性格もあって「まだ時間はある」とのんびり構えていた。期限が迫った平成24年9月、尻に火が点いた所で慌てて監査請求書を作成して提出したのである。監査委員会も、後述するように要件具備について10日も審査しながら最高裁判例に気付かず筆者の請求を受理している。本来なら不受理とすべき請求であったのである。監査委員会は却下理由として以下の最高裁判例を挙げた。「請求期間を徒過しても住民監査請求できるとして例外的な規定を設けている。その正当な理由として平成14年の判決と同20年3月の判決」を挙げているが、ここでは後者を記す。

 「文書開示により具体的な内容が明らかになった時と判示」「『相当な期間内』については、上記平成14年の判決で『知ることができた日から84日後にされた監査請求は相当な期間内にされたものということはできないと判示している」というものだ。即ち、情報開示から83日以内に請求を行わなければならなかったのである。監査委員を始め、斉藤市議はさぞかし「ほっ」とした事であろう。以上の経過で市議の小悪を暴こうとした筆者の意図は挫折した。この結果を監査委員会で受取り、エレベーター(議会棟)を下りた所で丁度斉藤市議に遭遇した。「却下になりました」と云う筆者に「何でわしばかりせむっとかいなあ、聞けばちゃんと説明すっとに」と、ぶつぶつ云いながら立ち去っていった。



 小紙の報道内容は一般紙と異り「スキャンダリズム」中心である。謂わば「三面記事」の集積で、それ故に報道対象相手に嫌われる。直接取材をしても適当にあしらわれるか、取材拒否。その後で核心を突かれた者は報道しないよう揉み消しに奔走する。これが煩いので極力直接取材を避けて周辺の取材で賄う。しかし今回は顔見知りの斉藤先生である。突然の報道も失礼かと思うと共に「既に筆者が取材に動いている」との情報も耳に達していると思ったので、六月議会開会日に取材した。快く取材に応じてくれた斉藤先生との会話の概要は以下の通りである。

 「長嶺南二丁目公園用地に先生の土地を売られたようですが」と筆者。斉藤氏は落ちついて(これが曲者、事前情報入手の余裕か)「ああ、あの土地ですか、確かに市に売りましたよ」「他にいい候補地があったと聴きましたが、どんな経緯で先生の土地に決ったのですか」「ああ、それで分った(情報源のこと)多分あの人達だろうな。確かにあと一カ所いい所があった。市はその土地の所有者と話を始めたが、持主がうちの土地がほしいと、等価交換を申し出たんです。私の頭越しにそう云われたのでいい気持がしなかった。しかも相手が示す地価は自分の所は高く云って、こちらを安く見積っていたので話にならない」「でも等価交換であれば市が先生の土地を買上げて交換すれば済む事でしょう」と筆者。「それもそうだが、私の頭越しに話を進めていた上、価格も合わなかったので相手(斉藤氏は実名を出した)と交渉を打切った。町内会の幹部からは早く公園をと陳情が来ていたし、止むなく私の土地と隣の土地が公園の候補地となった。隣の土地(遊具完成の所)の所有者も仲々売らなかったので、私も町内会の役員と何度も足を運んでやっと承諾を得たのですよ」(筆者の取材では土地所有者が高齢夫婦で、二人の息子が遺産相続で揉めていた所に土地買収話が持込まれ、息子の一人が父の代理で話を進めて売却、以後兄弟の家族は不仲となった。父も先頃死亡している)。

 斉藤先生の協力で隣地の買収が出来た熊本市用地課、公園課は斉藤先生の土地売買契約を行った。共に平成二十年九月八日付で土地の名義は熊本市に移されている。

 熊本市議でありながら熊本市に土地を売った点については「私はどうでもよかったが、町内の皆さんの希望が強かったので町内の為になる事であればと思って応じた。但し自分が市議であり、周囲から疑惑(圧力をかけて売ったと)の目で見られるので、売買の交渉に私は一切タッチしていない。私の兄弟(五人の内、三人は県外に転出)が全て交渉した」と潔癖さを強調したのが印象に残った。

 以上が斉藤先生弁解の言である。



斉藤先生が土地寄贈
地元で広がる感謝の声
 公園周辺の住民の声は「あの公園が出来たので安心して子供を遊ばせる事が出来ます」と幼稚園児の母。「あそこの公園は夕方や土日には利用する人が多いので、いい公園が出来たと思っています」と年配の夫人。「あそこ(広場公園)は市会議員の斉藤先生が市に寄付したと聴いており、町内の人達は感心していますよ」と老婦人。公園が出来、集会場も出来た事で、長嶺南二丁目の住民を始め、月出校区自治会では「斉藤さま様」と好評、次期市議選で上位当選間違いなしか。反面、この公園設置を巡る用地買収に係わる熊本市の態度に怒りを表わす住民も居る。

 斉藤先生は小紙に情報を寄せたのは「Iさんだろう」と断定的だが、これは誤解とはっきりお断りしておく。土地名義人や、用地売買の経緯はIさんではなく「その周辺の人達」である。ある程度話が進んでいた頃「突然Iさんへの土地交渉が打切られ、現在の場所に決った。私達は何の利害もないが、一部の人達は、市会議員が運営していた駐車場が思う様に儲からないので市に土地を売りつけたのではないかと話していました」と語る。

 当初の候補地から現在地に公園計画が変更された事について情報通は「Iさん所有の土地の方が安く入手出来たと思う。しかも今の様に公園が二分される事もなかった」と話す。確かにその土地は表通りから奥深い為、路線価も安い筈。地元民、斉藤先生どちらの言を信じたらいいのか。



 慈恵病院(熊本市西区)の「赤ちゃんポスト」設置構想が公表された時から小紙は「設置反対」を主張して来た。理由は簡単である。「赤ちゃんポストが出来る事で“子捨ての助長”を招く。親が置き去りにした赤ちゃん(子供も)の将来が保証されるものではない」大雑束に云えば以上の2点である。特に後者は出自の問題がどう解決されるのか、先が見えない難題である。

設置から今年5月で11年目を迎える。その間一般メディアと慈恵病院が謂う所の“預けられた”子供は130人(こうのとりのゆりかご第4期検証報告書平成29年3月現在)。同報告書の詳細は別項に譲ってここでは内密出産について検討する。

この「内密出産」の言葉を筆者が目にしたのは平成25年(2013)と思うが、今資料が手許にないので確実な表記がある熊日(平成26年9月27日)から引用する。熊日の記事は、前日「熊本市要保護児童対策地域協議会」の「こうのとりのゆりかご専門部会」(以降専門部会と呼称)が公表した「第3期検証報告書」に係る記者会見の中で「『ドイツのような(実名を明かした上で秘密裏に出産する)内密出産制度を踏まえた法的な議論が必要ではないか』と語った」と山縣部会長の言を紹介している。

この直後の10月3日赤ちゃんポストに男児の遺体が捨てられ、関係方面に大きな衝撃が走った。捨てた女は山鹿市居住の31歳、1児の母である。自宅で不倫相手の子を死産(県警調べ)した数日後の犯行で、翌4日県警に死体遺棄容疑で逮捕される事件となった。この事件が契機となったのか熊本大学は翌年2月20日・21日の2日間同大で「国際シンポジウム」を開催。ドイツ連邦家族省の行政担当官が2年前から始まった「内密出産」制度について説明を行った(以上熊日平成28年2月21日付記事から)。

朝日新聞も同年3月9日付熊本版で「日独『赤ちゃんポスト』課題探る」の見出しで特集を組み独の内密出産制度と慈恵病院の赤ちゃんポストの相違点を報じている。このシンポで講演した蓮田太二氏だが、昨年12月15日に記者会見を開き「内密出産制度の導入を検討している」と表明した事で、内密出産問題が急浮上したのである。



課題山積 日本での内密出産
日独で国情 宗教観の相違
慈恵病院が導入を検討している「内密出産制度」が如何に大きな社会問題であるかは翌16日付朝日新聞が1面トップで報道した一事を見ても明白であろう。キリスト教を国教に据えている欧米(ドイツはローマカトリック系が多い)と、信教の自由で国教がなく神道、仏教その他諸々の宗教が混在する日本では道徳観が大きく違う。

慈恵病院理事長蓮田太二氏は、三島由紀夫を見だした文学者蓮田善明、敏子の2男、兄一人弟一人の真中に生れた。実家は植木町の浄土真宗大谷派本願寺末寺の金蓮寺である。現在の蓮田理事長はクリスチャンと云われており、いつの頃か洗礼を受けたのであろう。赤ちゃんポスト設置の根底にキリスト教の精神が作用していると見ていいだろう。筆者は宗旨替えや、キリスト教を非難する気は毛頭ない。赤ちゃんポストの設置に反対するのである。これまでの蓮田氏、田尻看護部長(定年退職)の言動を見るに「目先の生命を救うこと」に重きを置いているように思える。“思いがけない妊娠”という言葉に表徴される様に「男と女がああしてこうすりゃこうなる」道理も判らない様な連中が「金のかからない最終処分場」として利用しているのが「赤ちゃんポスト」ではないか。蓮田氏も講演などではっきり云っている。「遺棄されて失う生命を救う為の施設だ」と。自身が“子棄て”を認めた上での“一時預かり所”が赤ちゃんポストであろう。

各紙を読むと分るが「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)と二重に表現しているのは何故か。メディア自体が“赤ちゃんを運んで来る幸せのこうのとり”を赤ちゃんポストに使用するのは違和感があるからではないか。慈恵病院が「内密出産制度」を検討している事について昨年12月19日、閣議後の記者会見で加藤厚労相は「熊本市から相談があれば中身を聞いて検討したい」(熊日29年12月20日付)と述べたが、これは儀礼的言辞と見て間違いはないだろう。赤ちゃんポストの設置を厚労省が望んでいないのは明白であるからだ。赤ちゃんポスト設立当初、意見を求められた安倍首相は言下に「法的に問題がないからといって、匿名で子供を置いていける施設を作るのがいいのか、私としては大変抵抗を感じる」と否定的見解を述べている。

赤ちゃんポスト設置後、10年間に、全国で公民を問わず1件の後追いもなかった事がそれを証明している。問題の深遠が分かっているからである。



大西市長 独“赤ちゃんポスト”視察
本面の記事を書く為各種スクラップを整理していて分ったのが大西一史市長が昨年12月17日、18日にかけて訪独していた事である。慈恵病院が内密出産制度の導入を検討している最中の訪独である。少なくとも2段か3段の見出しで報道される内容ではなかったか。筆者が今回知ったのは熊日と朝日新聞熊本版である。

熊日は慈恵病院が「内密出産の導入を検討」の記者会見の中で「まずは現場レベルで課題整理」の見出しで「一問一答」の中で「―熊本市の大西市長が18、19日、ドイツの内密出産制度を視察する。」との記者の問いに蓮田健副院長が「とても心強い。視察は、導入の気持の表れだと思っている。―略」と答えている。

朝日熊本版は内密出産導入表明の記事の中で「―また蓮田副院長は、ドイツに内密出産制度などについて視察に赴いている同市の大西一史市長に向けて『実現できるように頑張って頂けると、とても心強い』と話した」と述べている。前にも書いたが朝日新聞が1面トップで報道する程の社会問題である。その渦中の市長が先進地を視察したのである。大きな扱いになっても不思議ではないが両紙もさらりと流している。大西市長の意向を忖度でもしたのか。

この後が面白い。慈恵病院が「法解釈で対応が可能ではないか」と市に協議を申し入れたのに対し、12月27日の記者会見で「大西市長は『病院の意向に大変驚いた。まずは病院の考えを把握したい』とした上で、『ゆりかご』のモデルになったドイツのベビー・クラッペ視察を踏まえ『ドイツでは法制化により母子への支援体制が充実した。日本国内では戸籍法などの問題もある』と述べ、法解釈での運用は難しいとの考えを述べた」(熊日12月28日付)。慈恵病院は法整備を待たずに走り出すのであろうか。



 熊本地震で大きな被害を出した益城町の区画整理事業が中々前に進まない。当初町が策定した「益城町震災復興基本方針」は、平成28年度~30年度を復旧期、平成31年度~34年度を再生期、平成35年度以降を発展期と、何とも甘い計画を立てていた。西村博則町長にとっても初めての大震災に遭遇した訳で、問題の深刻さが理解出来なかったのであろう。

 益城町の歴代町長は益城町役場と、県道木山交叉点を中心に「街づくり」の構想を持っていた。震災後西村町長はその案を少し拡げた復興案が前述の復興計画となったのである。その後住民と話合った結果、第1次案として県道28号、通称県道高森線以北を木山土地区画整理事業(土地利用構想)として公表したが域外の住民から反対の声が上り、木山交叉点を中心とした28・3㌶を益城町復興土地区画整理事業計画案を立ち上げた。総額100億円以上の大事業費は「町が負担出来ない」として昨年秋県に支援を要請、これを受けて県が事業主体を肩替わりするとなった。

 前後して県は益城町広崎から同町寺迫までの県道拡幅を発表した。県道の拡幅は蒲島県知事が予てから「熊本空港を核に東部地区の発展を図る」とする構想と一致するものである。町が計画案に沿って動きだしたのが29年4月頃で、その間住民は方向性が定まらず「役所は当てにならない」として解体が終わった住人らは自力で住宅を建て始めた。同年5月に地区内住人410戸にアンケート調査を実施したが設問があやふやであったので、総論賛成、各論反対現象が出来した。

 アンケートは5月2日410件(区域内)、63件(区域外)の473件で実施。区域内の410件に限って云えば、回答数341件、回答率83・2%。未回答数69件、回答率16・8%(益城町復興整備課が住民説明会で配付した資料に依る)区域内回答で、事業に賛成、どちらかと云えば賛成が223件。反対、どちらかと云えば反対106件、31・1%。どちらとも云えないは12件、3・5%。今後の土地利用希望は現在と同じ利用が214件、60・1%。土地を売却したい82件、23%。その他となっている。この資料に加え、4月30日作成のQ(住民)&A(町)を集約した「木山地区土地区画整備事業に関するQ&A」等を資料に平成29年6月24日~26日にかけて事前説明会が「益城町交流情報センターミナテラス」で開かれた。時既に14カ月が経ってからである。この時自力で住宅復興、新築した家は数十戸あったと云われる。その後も“駆込み再建”は続いており、行政が後手後手に回っているのが分る。

 その原因の一つに創造的復興があるのではないか。被災者に思いを馳せるのであれば先ず復旧である。道路も隘路の解消など最低限に絞って立案し、住民の生活確保を優先すべきではなかったか。計画完了に10年は長過ぎる。



アンケートにデメリット説明なし
1回目の結果に固執する行政
 平成29年6月の「木山復興土地区画整理事業に関する事前説明会」には410軒中160戸が参加した。町は今後のスケジュールに、アンケート調査結果の解説、土地区画事業の概要を説明した後、住民と質疑応答に入った。この中で町は「デメリット部分は除いてアンケートを行った」と説明した事から住民が反発、加えて住民の一人が「計画に反対だ、住み続けたらどうなるか」と質問したのに対し、西村町長が「放っとけば…?」と発言、一挙に行政への不信が高まった。町側は「財政問題は国や県が調整に入っている。法的には町が主体だが、人材、財源は県に頼ることになる」と説明。道路整備については「各土地所有者から無償提供(減少)をお願いする」と説明したが、住民は納得せず“買取り”を要望、その他建替、一時転居等多くの疑問などが続出したが、町側の説明は満足のいくものではなかった。説明会終了後、個別相談会が行われたものの、当日だけでは捌ききれなかった。町は相談窓口を町役場仮庁舎内に設けたが、「平日、午後1時~同5時」と誠にお役所的日時配分であった。

 その後、この日決まった区画内の6町で「まちづくり協議会」(案)を計画、会長以下役員、規約などが作られ、8月初旬から設立総会(木山上町地区)が順次開かれ結成されていった。しかし、島田地区だけは、前年の10月に第1回目のガイダンスに始まり、その後勉強会を重ねて平成29年1月には協議会設立総会を開いた。同2月19日には「島田地区まちづくり協議会第2回取り組み」として道路拡幅が必要として、4m道路交叉点を大型消防車が曲り切れない場面を撮った写真が掲載されたパンフが事前説明会場で資料の一つとして配られた。この点について住民の一人は「町が協議会設立をスムーズに行う為主導したのではないか」と疑念を示したがこの点は分明ではない。所で町民が行政不信に走った原因の一つに、実体とメディア報道の食い違いがある。この事は6月24日の事前説明会でも「熊日の報道と違うのは何故か」と行政に迫った町民が居た事でも明らかである。その後も町民が行政に陳情したり要望した事にメディアは一切触れず、行政が発表した記事を流すので「えっ、何、これまだ決まっていないのに何故新聞に出るの」と行政不信は高まるばかりである。こうした中、益城町都市計画審議会は29年12月20日区画整理事業計画案を否決した。慌てた県と町は審議員を個別に説得、29年3月5日の再審議で可決した。町民の間では不満が燻っているが町は最初のアンケートを盾に妥協する様子はない。



県道28号拡幅は地区を分断する
 震災後突如として県が公表した益城町内を横断する県道28号(通称熊本高森線)の4車線化に疑問の声が挙がっている。県道28号線は熊本市東区沼山津4丁目の小楠公園まで4車線化されている。市境から益城町広崎に入ると、ここから幅員10mと急に狭くなっている。県は、この広崎から同町寺迫の国道443号までの3・5kmを4車線化(幅員27m)するというもの。この案が公表されると沿線の地権者、借地で建物を建てている住人から賛否両論が沸き上がった。

  拡幅賛成派は主に土地所有者達で、土地価格、貸地代の上がらない中で県が買い上げとなれば、ある程度の減歩があっても税金分を考えるとメリットは大きい。反面借地に建物を持つ住民は立退き料や、建物や営業補償はどうなるのか。出来るならこのまま営業を続けたいと望む商店主も多いと聞く。特に高齢者など土着の住民は「広い道路が出来ると気軽に道を横切って知人の家に行けないだろう」と道路の拡幅に不安を抱く。県や一部マスメディアは「創造的復興」だと胸を張るが、100億円以上を注ぎ込む費用対効果をどう計画しているのだろうか。寺迫から先は2車線でその先は山中の曲りくねった山道の西原村である。拡幅した道路は車がまばらに走り、スピードも出すであろう。交通事故の多発が杞憂に終わればよいのだが…。
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